大阪の街を歩いて思うこと
大阪の街は大阪です。
昨日の休み、約束をしている大学同窓生の沓澤君に会いに梅田まで出かけました。
少し早く出かけてアバンザのジュンク堂に向かう途中の出来事でした。
ドーチカで広島から来た車椅子のお兄さんと遭遇しました。
スロープを苦労して上がってるのを目にして素通りは出来ないでしょう。
本題はそこからです。
位置はドーチカ入口近く、彼に行き先を聞くと、曽根崎新地のホテルです。
どうも最近できたホテルのようで私に全く認識はありませんでした。
近くにエレベーターがあればすぐと思い大阪市営地下鉄の職員に聞くと要領を得ません。
仕方なくスマホの言うことを聞きながら北新地駅の手前のエレベーターから地上に出て車椅子の彼と話しながら15分くらいで目的地に到着しました。
簡単に分かる表示は無く、驚くほどエレベーターがありませんでした。
地下鉄の職員には外国人相手の英語の勉強ばかりでなく、自分達の職場の回りのビルのエレベーターの所在を勉強してもらいたいと思いました。
金をかけてエレベーターの新設ばかりが方法じゃないと思います。隣接の施設と協力すればもっと親切な地下街となるんじゃないでしょうか。
地上を車椅子で移動すると歩道に止める自転車でこれまた大変でした。
駐輪場の多寡の問題じゃないです。
だから大阪の街は大阪なんだと、憤りと言うより悲しさを感じ彼と別れました。
沓澤君と会う前に会社の先輩がお仲間とやっている展示会に寄り、美味しいワインをご馳走になり、待ち合わせの場所に向かいました。
写真はその先輩と作品、現役時代の固い角は落ち、すっかりユニバーサルデザイン化されていました。
田井劇場
生まれて初めて整体、カイロなるところへ行って来ました。
二カ月も前の話です。
家内は十数年来、縁の切れる事の無い場所でした。
私は妙にカラダには自信があり、病院というものに今までほとんどお世話になる事はありませんでした。
その無理が祟ったのでしょう、店をやめた6月には膝と腰に経験した事の無い辛さが襲いました。
合気道の仲間の木下さんの紹介で田井劇場の幕を開けました。
まずは家内が驚きました。
永年通ったところと全く違うと。
私はカラダ中がバキバキ音を立てて「宮島さん、この古傷は何ですか?」と次々に指摘されて忘れていた記憶が蘇って来ました。
誰もが大したことは無いと思う不良を積み重ねて行き着くみたいですね。
納得しました。
あとその治療も対処療法では無く根治を目指しています。
合気道の技で手首を取らせ相手の中心を崩すのと同じような解説を加えて周囲から局部に攻め入ります。
田井さんも合気道には興味を持っており、通じるものがあると言います。
同感でした。
まだ私はリハビリの過程ですが、間違い無く快方に向かっています。
診察室には高校生の運動部員たちの目標が掲げてあります。
治療ばかりで無く学生たちの記録向上を一緒に考える姿にも田井さんの真面目さを感じました。
劇場と深い縁は作りたくありませんが、永くお付き合いしたい魅力的な方です。