春の海
春の海終日のたりのたりかな
を思い出していました。
与謝蕪村の俳句が好きです。
画家でもあった蕪村が写実的な句を詠むことは当たり前かも知れませんが、その場に居合わせているような気にさせてくれるのがすごいです。
十七音の中に自然を詠み込む、人生を詠み込む、世界を詠み込む。
それなりの覚悟を持って生きて来た先人の句には心を動かされます。
それは置いておいて、思い出しました。
40年以上も前のあの夜の火事を。
当時豊橋駅の西側、花田二番町に住んでいました。
小四の秋から中三までです。
小学校五年か六年生の時でした。
こんな寒い時期だったと思います。
夜中に消防車のサイレンが豊橋駅の方から聞こえます。
いつまでも鳴り止みません。
大きな火事だね、と母と話したのを覚えてます。
翌朝、学校ではその話で持ちきりでした。
イチビキの工場が燃えた、うちは臭いがすごい、と。
近くに住む同級生が自慢げに臨場さながらに説明してくれます。
さっそく、帰りに見学会です。
小学生の私にも想像が出来ました。
味噌工場が火事になり、消防活動が加わるとどんなふうになるか。
あたりは味噌の海になっていたに違いありません。
しかも、具無し、出汁無しの味噌の海です。
味噌と醤油が混ざり焦げた臭いが漂っていました。
味噌の海は地べたに染み込んだに違いありません、それからしばらくは臭いが無くなることはありませんでした。
味噌の海具無しダシ無し季語も無し
私には俳句などという高尚なものには決して近づいてならない、それ以前に考えるだけでも先達たちに失礼だとつくづく思っています。
でも、今のようなダシ入り味噌だったらもう少し芳しい匂いとなり、この私にでも秀句がひねれたたかも知れません。
なんてことはありませんね。
無くなって欲しくないもの 街の喫茶店
先週末、時間があり久しぶりに豊橋の喫茶店に入った。
高校を卒業して時々寄った喫茶店だ。
豊橋は喫茶店が多い街だ。
モーニングで各店が競争している。
初めてこの店に入った時にモーニングを頼んだ。
他の店の定番モーニングのトースト、ゆで卵、サラダではなく、バケットのトーストとマスカットが二つぶだった。
なんだか大人の仲間入りをしたような気がした。
今もその店は変わらぬ大人の雰囲気、いつも誰かの写真が展示され、マスターは白い清潔そうな上衣を着て静かに接客する。
お客さんも長く通っているのだろうお年を召した方が多い。
静かな店なのだ。
この店にたどり着くまでに本屋で文庫本を求めコーヒーを飲みながらを本を読む。
その頃は開高健が好きだった。
たしかコーヒーが180円、ハイライトが120円、文庫本は300円くらいだった。
魚市場で働き、月一度くらいの文化的な時間だった。
チェーン店に押されるのは致し方ないかもしれない。
でも個性豊かな街の喫茶店には頑張ってもらいたい。
一杯のコーヒーとその店の雰囲気が人の人生の一部になる。
そんな仕事ってなかなか無いと思う。
無くなって欲しくないもの、街の書店、そして喫茶店である。