スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

すみません

直接このサイトからお読み頂いているみなさんへ。 シェア先のフェイスブックにこのはてなブログがシェア出来ず、理由のわからないまま時間が過ぎています。 しばらくは下記の note にて文章作成を続けます。 下記URLから移ってください。 勝手申しますがよろ…

年齢による変化、またの名を経年劣化

一昨日の晩からこのブログをFacebookにシェア出来なくなった。 なんとかしなければならない、と思いつつなんだか時間が無く、少し見たがわからないのでほかってある。 まぁ、いいか というカンジである。 以前ならそれが出来なかった。 それを出来るようにな…

東京から見た富士山(3/20投稿)

温かい空気の中、電車で移動中。 窓が開けられているが、今日は誰も手をかけようとしない。 この気温で不思議だが暖房が入っている。 以前と違うJRには我々の知らぬなか、厳しい掟があるのかも知れない。 二十年ほど前の大阪環状線は夏場、暑がりのこの私で…

稽古の夜

これから稽古である。 まだまだコロナ禍は続くのであろうが、何も無かったかのような日常がある。 皆がマスクをしているかどうかの違いだけのような気がする。 でも、水面下では苦しみ助けを求めている人がたくさんいるんだと思う。 それも考えてみればコロ…

この一年を振り返って

まだまだ終息を迎える事の無い新型コロナウイルスである。 初めての制限のある生活にも慣れてしまえばなんてことはないような気がしているのだが、為政者たちはリバウンドを心配しているようである。 いろんな人間がいるから厳しい強制でもかけなければ、な…

八尾の洋食屋さん

八尾にもある街の洋食屋さん、家内と時々行く。 もう冬の上着は必要ない陽気のなか、自転車で開店時間をめがけて行った。 新型コロナで休業も制約もあり、売り上げは落ちて大変だったに違いない。 でも、今日は様子が違っていた。 人気のある店ではあるが、…

京都で過ごした時間 番外編

ここ最近ずっと昔のことばかり思い出していた。 思い出せばあまりにいろんなことがあり、全てをここに並べることは出来そうにない。 そんな中、どうしても紹介したいナイスガイがいる。 過去ここで登場してもらったかも知れない。 私が大阪支店営業部にいた…

京都で過ごした時間 その10

営業所長は途中から和歌山営業所長の兼務もするようになった。 どちらも営業マンからしたら特殊な地域である。 所長は京都を離れていることもあり、一人で行動する事が多かった。 報告はほぼ口頭だったと思う。 大阪支店では、なんでもかんでも報告書であっ…

京都で過ごした時間 その8

この所長には多くのことを教えてもらい、多くの人に会わせてもらった。 発注者、受注への協力者、協力業者(下請業者)、そして発注者となるかもしれない人たちに会わせてもらった。 一つ仕事を受注するのに登場人物は多い。 仕事を受注するたびに付き合いは…

京都で過ごした時間 その7

京都でのマンション建設の地元対応の話は続く。 法務局で調べれば誰でも確認できるからここに書くが、当時の高瀬川沿いの土地のほとんどが京都市の所有であった。 担当課できくと、第二次大戦直後に市が救済措置で人が住む事を認めてしまい今に続くのだと言…

京都で過ごした時間 その6

二度目の京都入りまで大阪支店営業部に5年くらいいただろうか。 まだまだ若い営業マンを置かない時代に移動した私は部内で可愛がってももらったが、力を持った部長同士の戦略のはざまに置かれて物のように部内での移動をさせられたり、ここでも嫌われたりし…

京都で過ごした時間 その5

京田辺では着工から竣工まで、そして二期工事も時間をおいて行われて延二年間ほどいた。 他の工事も京都北部の舞鶴や日吉町、京都市内を飛ばして京都の端っこに近い現場の兼務が続いた。 これも事務課長に嫌われたことも関係した。 ペーパードライバーだった…

京都で過ごした時間 その4

『京都での私の時間』の第一期は営業所での事務と現場での事務であった。 事務課長に嫌われて現場に出され、ある意味気楽になったが誰も仕事を教えてくれない、現場所長に教えてもらいながら見よう見まねで書類を作り毎月のルーチンを必死にこなした。 事務…

京都で過ごした時間 その3

私がお世話になった京都営業所長の話をもう少し続けたい。 当時の会社には各営業所にこんな個性的な所長や営業部長がいた。 そして、当時の大阪支店の営業部は管理の立場として困っていたようである。 そんな事があってある時各営業所の扱いにくいこれらの所…

京都で過ごした時間 その2

京都ではたくさんの個性的な方と出会い、たくさん勉強させてもらい、たくさん迷惑をかけて、たくさん世話になった。 中でも当時の京都営業所長は個性的だった。 当時の私のいたゼネコンは外回りを始めたら多くのお客さんたちから『あんたの会社の営業マンは…

京都で過ごした時間 その1

ゼネコン時代、京都で長い時間を過ごした。 大きく分けて三期になる。 一期、入社したばかり、生まれて初めての土地京都、初めて足をおろしたのは京阪線藤森の駅であった。 テレビでの知識しかなかった私には八坂神社あたりや鴨川の流れる景色が京都だった。…

人類の歴史を変えた発明、人の人生を変えた道具

20世紀最大の発明って何だかご存知ですか? ひょっとしたらいくつもあるのかも知れませんが『コンテナ』がその一つだそうです。 貨物列車やトレーラーに積まれているあの鉄の箱です。 私の生まれたほんの少し前、1956年にアメリカで登場しました。 それまで…

時代の波に乗りながら忘れたくないもの

台湾の母、黄絢絢さんにハガキを書くことにした。 以前は毎月一通ほどの手紙を書いていた。 それがいつからかLINEで近況が送られてくるようになり、今は電話になっている。 93歳というご高齢にはさすがの絢絢さんも勝てないようで、電話は自身が生活する老人…

長かった休み明けのかんじ

三月一日月曜日 六十回目の三月である。 この調子ならばあと二十回ほど三月を迎えることが出来るのであろう。 そう考えてみると人生は短い。 振り返るとあっと言う前に時間は過ぎてしまった。 深く考えると自己嫌悪に陥ってしまう。 やって来たことに間違い…

稽古はじめます

緊急事態宣言が前倒しで解除と決まった。 三月から稽古を始めます。 まだまだ不可測なことはあるでしょう。 しかし、コロナも自然、私たちも自然界に生を授かっている仲間です。 必要なことはしましょう。 マスク、手洗い、消毒を。 帰ったらまた繰り返し、…

台北の母をたずねて

昼下がり、私の台湾の母黄絢絢さんから電話がきた。 母の親友である絢絢さん、今年で93歳になる。 いつも私の身を案じて電話をくれる。 日本の統治下で日本語の教育を受けた絢絢さんはいまだに日本語の読み書きは達者である。 ひょっとしたら私よりも。 日本…

ビューティーサロン タイガー

最近引越したわが家の近所にこんな建物がある。 初めて見た時には立ち止まり、しばらく眺めていた。 右側には色あせた女性の絵、たぶん極彩色のペインティングがなされていたのではなかろうか。 ネーミングもさることながら、建物の妻壁の多くを使っての手書…

兼題は『春の夕焼け』だった

遅くに帰り、一人パソコンに向かい『俳句ポスト365』 の発表の週であることを思い出した。お便りコーナーをみて「あぁ、」と声が出た。 もともと俳句のたしなみは無く、ねずみ男こと寝たきり親父先輩に誘われて始めたのだ。いまだに先輩方の言葉に逆らうこと…

情け無い遠い国の話

もう三月がそこに見えてきた。 一年が過ぎるのが早い。 年度が変わりゆくこの頃、新しい生活を始める若者は希望を胸に、転勤の辞令をもらったサラリーマンは新たな覚悟を胸に悲喜こもごもで今日の休みを準備で過ごされた方も多いのではないだろうか。 ニュー…

ネコの日の今日

今日は『猫の日』だそうである。 朝から家内にそんなふうに聞く。 語呂合わせなんかで、毎日が記念日だ。 それで経済活動が活発になり、家でじっとしているお年寄りが外出したり良い事も少なからずあるのだろう。 父が他界した六年ほど前から我が家は毎日猫…

朝、感じたこと

白々と明ける朝は美しい。 もう何度見たことか、あと何度見れるのか。 朝陽は勇気と力をくれる。 夕陽は安らぎといたわりをくれる。 何度この朝陽に向かってハンドルを握ったことか、ついた先には年老いた両親が待ち、動けぬ兄がソファで私を待っていた。 こ…

エビチリが好きだ

中華料理が好きである。 最近よくこのFBの中の『街の中華屋』愛好グループのサイトを眺めている。 やはり人口の多い関東圏のほうが店も多く、たくさんの美味そうな写真が登場する。 今住む八尾の近所で心当たりは無く、阿倍野あたりでもたくさんは無かった。…

コタツの無い生活

寒の戻り、きれいな日本語だと思う。 風は頬を刺すまで冷たくない、やはり春はそこまでやって来ている。 コタツの無い生活を送るようになってずいぶん経つ。 学生時代の下宿生活では必需品だった。 春夏秋はテーブル代わりになり、物を持たない生活にはちょ…

マッチ、ミスマッチの話

今日のお昼、近鉄八尾駅の高架下のうどん屋で食べた『カツカレーうどん』 前から気になっていたテーブル・椅子のある立ち食いうどん屋である。 私的にはミスマッチだと思い、機会があってもなかなか口にすることは無かった。 しかしながら、朝方八尾でも雪が…

歳を感じる時

自分の歳を感じてしまう事がいろいろある。 ここでも書いたと思うが、我が家を代表してスーパーに時々行く。 そして、買った品物を収めるさいにロールになったペラペラのビニール袋を使う。 一枚破り取るまではいいのだが、そこからがいけない。 袋の口が開…