スタンディングみや

大阪 阿倍野の立ち呑み屋

5月10日本日のメニュー

f:id:standingmiya:20170510105051p:image

さあ、余すところ14営業日となりました。

ひたすら頑張ります。

よろしくお願いします。

 

今日は先週87歳の誕生日を迎えた看護師だった母の話。
昭和5年生まれの母は終戦前の昭和19年、志願して上諏訪の日赤病院で看護師生活をスタートした。
戦地にいる兄に会いたかったそうだ。
その兄と出会う願いは叶わず終戦を迎える。
その後実家の山形に帰り農業の手伝いをしていたそうだが、父親の勧めがあり上京して再び看護師生活に戻った。
勤めた病院での新米看護師の役回りですぐに岐阜県の山奥のダム建設現場の診療所に行かされる。
田舎育ちの母には何の苦も無かったそうだが、東京から派遣されてる先生と家族(奥さんと二人の娘さん)には辛い事ばかりの田舎生活であったそうだ。
気さくな母はいつも気を回して手助けをし、医師の家族からはおハルさんと呼ばれ家族同様の付き合いをしていた。
そんなある日、診療所で火事があった。
そして、中には年老いた夫婦が残っていた。
その事に皆が気付いた時にはおハルさんはすでに火の中に飛び込みしばらくすると病身のおじいさんを背負い、おばあさんを手に引き出てきた。
安堵の中、皆は拍手喝采だったそうだ。
以上は母のいるグループホームで東京から来てくれた先生夫妻に聞いた話だ。
おハルさんがいなかったら今の私達は無かったとも先生は言ってくれた。

初めて知った話しであった。
アルツハイマーの母にはもうその記憶は無い。
ひょっとしたら母にとっては当たり前の事だったのかもしれない。
だから私に話しすることは無かったのではないだろうか。
看護の本質とは何であろうか?
共に生きる人間すべてを思いやる気持ちではなかろうか。
自分より弱い人間、困った人間を黙って見ていることの出来ない母である。
アルツハイマーになった今でも施設の若い職員への気遣いを忘れないという。
母が元々持ち合わせていたものなのか、上諏訪の日赤病院で仕込まれたものなのかはわからない。
病が進行しても思いやる気持ちは失せることは無いようだ。
いつまでたっても今のままの母でいて欲しい。
私には話すことが無かった尊敬する母の想い出である。

 

本日のメニュー

f:id:standingmiya:20170510161122j:image

 

f:id:standingmiya:20170510161149j:image

マカロニサラダ  280円

 

f:id:standingmiya:20170510161214j:image

もやしとニラのナムル  300円

 

f:id:standingmiya:20170510161253j:image

鯖の塩焼き  300円

 

f:id:standingmiya:20170510161336j:image

ヒジキの煮物  300円

 

f:id:standingmiya:20170510161422j:image

じゃこピーマン  350円

 

f:id:standingmiya:20170510161511j:image

淡路島産の新玉ねぎと鶏ハムのサラダ  350円

 

f:id:standingmiya:20170510161557j:image

鶏団子の甘酢がけ  350円

 

 

 

 

 

広告を非表示にする