成らぬは人の為さぬなりけり
今、故あって八尾市に移り住んでいます。
どこの地方都市でも一緒でしょう、狭い道路を路線バスが走りおじいさん、おばあさんたちが乗り降りします。
自家用車を手放せば高齢者の方々には必要不可欠な公共交通機関です。
その光景を見るたびに思い出します。
友人の話です。
大阪の私鉄沿いの北摂の大学で、学生の通学用と周囲の高齢化したベッドタウンのご高齢者の足のために1時間に1本の路線バスの拡大の話が持ち上がり、その友人に相談してきたとのことでした。
友人はその私鉄の子会社コンサルタントで働く営業マンでした。
強い希望を持つ大学は同系列のバス会社への働きかけを求めてきたそうです。
友人は大学へもバス会社にとっても、それによって乗降客が増える鉄道会社にとっても良いことと思い、バス会社の知り合いにその旨を相談したそうです。
しかし、社内で話が進むにつれ厄介な話を持ち込んできた馬鹿者扱いされたそうです。
学生は夏休み、春休みと乗降数に波がありしかもターミナル駅に乗降場所を作るのが物理的に無理だと。
ベッドタウンの高齢者の方は無視だったそうです。
じゃあ、背に腹をかえれない大学は近鉄に乗り込むことも考えていると言うと、それは困るとムシのいい話だったそうです。
結局はバス会社の社長自ら担当部長とともに出来ない理由を書き連ねた報告書と共に大学まで行き説明をしたそうです。
行きすがらの車の中で友人はその社長から「君はどこの会社からメシを食わせてもらってるのか理解してるのか!」となじられたそうです。
その後どうなったかは知らないと言います。
その駅にはもう何年も近づいたことすら無いそうです。
後日譚です。
専門の人に話を聞く機会があったそうです。
鉄道会社の使命として地域から鉄道敷設の要望があれば取り組まねばならず、諸般の事情でかなわぬ時の代替えにバスがあるのだと。
この事を先に知っておきたかったと加えてました。
素晴らしい方もたくさんいたが、所詮はサラリーマン、可もなく不可もなく卒業したい方ばかりの中で自ら困難に立ち向かい本当の夢のある世界を作っていこうなんて気概を持った男なんてもういないのでしょう、とも言ってました。
寂しい話でした。
昭和は遠くになりにけり、です。