スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

考えること

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疲れています。

久しぶりに疲れています。

若い頃ずいぶん徹夜で働きました。

豊橋の魚市場から始まり、ガードマン、建設現場、築地市場

昼は授業を受け、稽古をし、酒を飲んで仕事に行ってました。

歳かも知れません。

私の苦手な事務仕事だからかも知れません。

蕁麻疹があちこちに出てカラダは私に抵抗しているようです。

こんな仕事がストレスなんですね。

でも、自分で言い出したことです。

最後までやり通します。

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さて、この職場にどんな人達が働いているのか非常に興味がありました。

私の子供と変わらぬ二十代の子から三十代後半の10人ほどです。

やはり若い柔軟な体力が必要かと思いきや、皆しんどい、休みもずっと寝ていると言います。

当初私はずいぶん自分の時間が持てていい仕事じゃないかと思っていたのですが、ところがどっこい、でした。

通常の社会活動と時間がずれているので人と会う時間が無く、加えて夜の仕事が気になり、外出は控えてしまいます。

朝仮眠し昼に一度起き出すとカレンダーを見てもその日がいつなんだかピンときません。

家では寝たり起きたりの病人のような生活です。

そして何よりも酒が飲めません。

朝から……というのはさすがの私にも抵抗があります。

思えばこれが一番のストレスかも知れません。

 

ここの子達と話をしていると皆素直で優秀で驚きました。

中にはこんな時間帯の仕事が天職のような子もいます。

個性に合わせた生き方が必要です。

私の尺度が全てじゃダメです。

他の子達と話していると決して切望して夜の仕事に就いている訳じゃない事がわかりました。

昼の仕事に就きたい。

就活しながら生きるために働いてる。

ここで働き出したまでの経緯はまだ聞いてません。

たぶんそれなりの苦労があってのアルバイト生活なんだろうと思います。

タイミングが悪くたまたまここにいる子達なんだろうと思います。

今の不具合だらけの世の中を転がって来ての現在なのでしょう。

公器としての会社の役割が問われるところです。

時期が来たら社長に相談します。

今の若者を育てる事が会社の繁栄に繋がり、ひいては日本の繁栄に繋がって行くことを理解してくれると思います。

 

昭和の会社の経営者はそんな事を思う人、人を育てる人がたくさんいました。

 

私はまたサラリーマンを始めました。

そんな社長のもと働き出しました。