母の記憶
だんだん薄らぐ母の記憶にかろうじて私の事は残っているようです。
昨年末、もうダメだと医師から告げられ車椅子の兄を連れて行きましたが、兄は母の記憶からは消えていました。
50年以上片時も母の頭から離れなかったであろう兄をいつか忘れる日が来るであろう、そしてそれが母の一番の救いになるだろうと思っていました。
とうとうその時が来たんだと思いましたが、兄にはショックだったようでした。
そのうち私の事も忘れてしまうことでしょう。
アルツハイマーでは古い記憶の方が最後まで残るようです。
母も故郷である山形県南陽市赤湯の話をすると表情は明るくなり口調もしっかりと話し出します。
新しい記憶は消し去られてしまうのか記憶の引き出しをロックする悪者がいるのかは分かりませんが、太平洋戦争を経験している母に子供の頃の記憶は辛いことばかりではなかったようです。
写真のブドウは川崎にいる従兄が赤湯に残してあるブドウ棚でのものです。
母が少しでも赤湯のことを思い出せばいい、とグループホームに沢山送ってくれました。
紫のブドウで故郷を思い出し、甘い粒を口にして楽しかった子供の頃を思い出すはずです。
従兄には心から感謝します。
母、私の事を気遣い心配してくれる母の姉達、親戚、友人にも感謝の念は絶えません。
この歳になって一人で生きているんじゃないとつくづく思っています。
いとこ達との写真