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秋の味覚 その2

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子供の頃、感じることの出来ない味がありました。

秋刀魚の腹わたです。

焼いた秋刀魚の腹わたを父は美味そうに食べながら酒を飲んでいました。

当時はまったく理解出来ない大人の味でした。

魚であれ、四つ足の動物であれ内蔵が一番美味しいといつも教えてくれた台湾の母の言葉を思い出します。

 

さて、それとは関係無く今回も俳句サイトで小随筆として取り上げられた文章です。

季題は『稗』(ひえ)、俳句はいつものように並査定でした。

 

亡き父の故郷、長野県飯田市

愛知県との県境に近い山の中である。

痩せた土地では米は育たぬ、ヒエやアワくらいしか出来ねえんだと言う伯父さんの話は子供の私には分からなかったが、いつまでも頭にこびりつく話であった。

食べていくために養蚕もしていた。

二十四時間体制、家族総出で世話をする。

桑の葉を大量に食べ、蚕棚のある二階建ての建物はいつも暗くヒンヤリしていてカイコがいつもモサモサと音を立てていた。

一人では入れない怖い暗い場所であった。

カイコを食べに来るネズミ除けに猫が必ずウロウロしていた。

ネコは農家では必要不可欠な存在なのをその時知った。

 

それからしばらく稗のことなど思い出すことなく町の生活が続いた。

稗との次の出会いは小学校四年になってからであった。

自宅の広い玄関でジュウシマツを飼いだしたのである。

最初はつがいだけ、でもすぐに家族は増えた。

父の手製の鳥かごはいつも賑やかで世話係の私は徐々に忙しくなっていった。

水替え、フン掃除、エサは殻付きヒエ入りの混合飼料だった。

久しぶりに再会したヒエを玄関先でフッと吹きその殻を毎朝飛ばした。

強すぎると殻ばかりか実まで飛んでしまう。

微妙な吹き加減が必要だった。

藁で編んだ狭い巣カゴに皆が収まる姿はなんとも可愛らしかった。

でもある日その幸せ家族に悲劇は訪れた。

いつものように巣箱を覗き込むが元気な鳴き声は無かった。

何故か巣カゴには母の和ダンスで見た皮の長財布があった。

でもそんなはずはない、よく目を凝らすとそれは狭い巣カゴに収まった生きたヘビだった。

家族は全員丸呑みされていた。

 

実はその後の事は覚えていない。

たぶん父が誰もが考えるような処分をしたのであろう。

でも私には蛇も平等にこの世に生を受けて精一杯生きてたどり着いたのがあの巣カゴなのだろうと思えた。

人間のわがままであの巣箱に閉じ込める事が無ければ家族は生き延びたのではないかと子供心に思ったのを覚えている。

それから自ら進んで生き物を飼った事はない。

我が家に二匹の猫がいるがこれは父の忘れ形見、今わの際の父を安心させるために家内が父と約束して連れてきた二匹である。

コイツらとは狭い家の中を互いに干渉せずに生きている。

稗、この一文字が今回私の忘れていた記憶の引き出しをいくつも引いてくれた。