稽古の夜
毎週金曜日の夜は稽古の日です。
少しだけと思い横になったのですが起きれませんでした。
家内に任せて本日も見取り稽古です。
言い方は格好いいのですが、ただの遅刻です。
みなさんの稽古を見せて頂いて自身の合気道を見直します。
さて、今晩も俳句サイトへの投稿です。
季題は『無花果(いちじく)』でした。
昭和40年代、小学生だった私は愛知県豊川市に住んでいた。
私の生まれる前、宝飯郡豊川町穂ノ原だったのを戦争中に町村合併して豊川市したとのことである。
宝飯郡も穂ノ原も好きな地名である。
本宮山から見下ろす東三河平野は、この海軍工廠のできる前は秋になればススキの穂が海原の白波のように揺れて見えていたはずだ。
そんな穂ノ原は工場の集積地なので私たちの住む社宅のほかにも近所にはたくさんの社宅があった。
その中私たちの住むアパートの南側に古い木造のどこかの会社の社宅があった。
もう誰も住んでいないそのおんぼろアパートを私たちはおばけ屋敷と呼んでいた。
気にはなるものの、誰も口に出すことの無かったおばけ屋敷への侵入を同じアパートの子供仲間の中で私が口に出した。
皆、顔を見合わせて黙って頷き事は決行された。
しかし、入り口にはバッテンに板が打ち付けてあり丸腰の私たちにはどうしようもなく塀を乗り越え裏庭に回ってみることにした。
誰も入ったことのない裏庭、秘密の花園を私は期待したが鬱蒼とした雑草、長く人が入らなかったんだと感じた。
奥を見るとたわわに実ったイチジクをぶら下げる青い大きな木を見つけた。
皆も気がつきどよめく、次は誰が一番に手にするかだ。
一斉に走り出した瞬間だった。
第一発見者だった私の視界は垂直に移動した。
私の身体が落ちたのである。
あろうことに汚水槽の古くなったマンホールを踏み抜いていた。
かろうじて両ひじで身体を支えたもののヘソから下は汚物まみれとなって誰も近くに寄ってくれなかった。
ベソをかきながら自宅に向かうとアパートの入口で母がホースを持って待ち構えていた。
先に仲間が母に事の次第を告げに帰っていたのだ。
容赦無い放水、その場で服は剥がされ社宅の共同風呂に直行させられた。
風呂で身体を洗っても臭いはいつまでも残っていたような気がする。
生まれてこのかたイチジクを口にした事は無い、これからも無いだろう。
誰もが頷く私と無花果の縁を切った一夏の体験である。
天王寺の夜は更けます。