『考える』を考える
最近スマートホンをまたガラケーに変えたいと思っている。
ポケットの中にいつでもあるインターネットってのはいかなるものか、と思う。
時代の流れとともにインターネットの変遷や通信機器の進化を見てきた。
便利になったのは間違いない。
そしてインターネットの爆発的な普及で新しく生まれた多くの仕事があり、それで生計を立てている人、家族がいることを理解している。
でもあまりに便利過ぎるのがよくないように思う。
『各次産業就労人口、変遷』でスマホで検索をかければ独立行政法人労働政策・研修機構ってところの産業別就業者数っていう表が出てきた。
1951年から2018年までの第一次産業から三次産業までの就業者数の推移がわかる。
二次はほぼ横ばい、一次は1/5ほどに減り、三次は5倍くらいになっている。
そしてこの三次が全体の7割ほどを占める。
この中身まで調べてないが、当初には無かったIT関係やそれに付随した産業の就業者が多いのだろう。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0204.html
これが現状である。
どう捉えるかは各人の勝手であろう。
そしてまた、以前ならばこんなことを調べようと思ったら、図書館に行っての一日仕事であった。
それが瞬時に出来る今を幸せと考えるべきなのであろうか。
モノを考える思考回路が変わり、モノを考えなくなるように思う。
生計を立てるのにも思考をするのにもスマートホンが無ければ始まらないってのは私はあまり好ましくないように思う。
世の中がこの流れから変わるとは思わないが、出来れば私は自分の頭でモノを考え、もっとゆったりした時間の中で生きて行きたいと思う。