スタンディングみや(でした。)

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兼題『水鉄砲』

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世のゴールデンウィークに合わせて長期お休みしていたいつもの俳句サイトの発表がありました。

俳句はいつも通りの『並』でした。

今回取り上げてもらった文章です。

いつもこの文章で頭の中を整理して俳句の創作をしています。

こんなやり方は投稿されている他のみなさんとは違うようです。

 

 

兼題『水鉄砲』

水鉄砲、子供の頃の定番の遊び道具である。

商売上手の近所の駄菓子屋は夏がやってくると、いの一番に水鉄砲を仕入れてきた。

同じ社宅の遊び仲間のうち、一番歳上で小遣いも一番多いであろう柴田くんが一番最初に水鉄砲を持って私たちの前に登場する。

黄緑の蛍光色のプラスチックの水鉄砲だった。  子供の目にはまばゆく映る蛍光色の水鉄砲だった。

翌日、翌々日とにわかガンマンが増えていく。

小遣いが少なくて貯めなければ買えない私と兄は日に日に濡れ方がひどくなる。

母に無心はしたくなかった。

20円の小遣い、50円の水鉄砲は理論上では2.5日で買えるのであるが、兄と二人で駄菓子屋に向かえば欲しいものは星の数ほどあった。

5円のくじを引き、5円の水飴を買えば残りは10円だ。

くじの1等を当てるタケシ君を横目で見れば私たちも引かないわけにはいかない。

いつまでも水鉄砲にはたどり着かないのだ。

そして運命の出会いがあった。

誰も持たない黒色のプラスチックの水鉄砲が店の壁にぶら下がった。

どうしても欲しかった。

誰も持たない黒色の水鉄砲を自分の物にしたかった。

そんなある日兄が早い夏風邪をひいた。 母から外出禁止令が出て兄は一人家で留守番をした。

共稼ぎの母はいつも下駄箱の上に兄と私の小遣い、10円玉を2枚づづ積んで置いていってくれた。

私はへそくりの10円玉1枚と下駄箱の上の4枚をポケットに入れて駄菓子屋に走った。

そしてお目当ての黒色の水鉄砲を手に入れたのである。

その日一日だけ子供たちの中で私はヒーローだった。

しかし、そのヒーロー気分はすぐに終わる。  夕方、皆帰宅の時間だ。

家には帰りにくかった。

兄は私より先に帰った母にことを告げていたに違いない。  でも、何も言われなかった。

水鉄砲はポケットから出せなかった。 次の日もその次の日も言いそびれた。 水鉄砲は引き出しの奥にしまってその存在も忘れてしまった。

未だにプラスチックの水鉄砲を見ると胸が痛む。

最近、ことの次第を兄に話すと、兄は笑って許してくれた。

でも母にはそんな記憶は全く無かろう。 認知症の母にはいつかあの世で話しして水に流してもらうことにしよう。