残暑お見舞い申し上げます
本日は合気道の稽古の日。
午前11時から午後2時半までの時間を二部制でやっています。
冷暖房完備のスタジオにマットを敷いての稽古ですが、まだまだ暑いです。
その中、今日もまた5才から73才までの皆さんと一緒に汗をかくことが出来ました。
立秋は過ぎて台風も一つ行って、大阪府三島郡島本町ではツクツクボウシが鳴き出しました。
ですから当然水はきれいです。
道路脇の用水でサワガニを見つけて驚きました。
同じ大阪府下でも随分違うものです。
案外、大阪市の水の良質さは知られていません。
以前大阪市柴島(くにじま、と読みます)にある大阪市水道局の浄水場長から『大阪市の水道水は日本一きれいで美味い。』と聞きました。
私はその時大阪市内に住んでいました。
一度もそんなことを感じた事がなく質問すると『宮島君はどこに住んでいるんだ?』と、聞かれました。
『阿倍野ですよ。』と答えると『そりゃ、ダメだ。』との返事でした。
浄水場で出来上がった水道水は良質だそうなんですがそれを阿倍野の私の住んでいたマンションの蛇口に至るまでの大阪市内の水道管がかなりの年代もので、ようはコレステロールのたまった血管と同じだと言うのです。
末端の毛細血管では心臓部から送られてくる途中に不要な味付けがあるということでした。
自治体で水道料金は違います。
利用者の数と浄水処理施設の能力にかかる費用で違ってきます。
味は関係ありません。
水道水が美味くてペットボトルの水を買わなくて済み、空気も美味い、そんな場所に住むのが一番得だなぁ。
なんて事を考えながら休憩時間にスタジオの洗面所の水道水を飲んでいました。
まだまだ暑い日は続くでしょう。
夏の疲れも出て来る頃です。
くれぐれも皆さんご自愛ください。
盆も正月も
『盆と正月くらいは』というフレーズを時折耳にする。
盆と正月がそれくらい希少なもので大切にしなければならないものなのであろう。
そして、その時くらいは… 、と許されるなにかを日本人は持っているのだろう。
両親が健在の頃は必ず盆と正月には帰省した。
最低でも正月には帰っていた。
両親はそれなりの料理を用意して成長した孫の顔を見るのを楽しみにしていた。
飲み食いしてゴロゴロと数日を過ごしてまた大阪へ戻った。
社会人に成り立ての頃、ゼネコンの現場事務をやらされていた。
よい意味での放任主義で誰も仕事を教えてくれなかった。
毎晩夜中まで一人悩み試行錯誤の中、書類を作った。
そんなわけで、盆も正月も書類を持って帰省した。
その頃はまだ、それくらい責任感も強ければ、まだわからぬ仕事に追い詰められてもいた。
『盆と正月くらいは』と『盆も正月も』では意味合いが変わってくる。
両親はその時の私を見て『盆も正月も』と思っていただろう。
高度成長期に馬車馬のように働いてきた両親の世代は土日は無くとも、そのぶん盆と正月は大切にしたのだろう。
『藪入り』という今は無い習慣に郷愁を覚える私はおかしいのだろうか。
『ごりょんさん』に新品の着物を着せてもらい、手土産を片手に実家にいそいそと帰った丁稚を羨ましく思う。