スタンディングみや(でした。)

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俳句を作るようになったわけ

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俳句を考えるようになって一年が過ぎる。

実はこの十七音の創作は大学合気道部の先輩からの誘いだった。

その先輩はもう十年も前に脳梗塞で倒れ寝たきりである。

『寝たきり親父』の俳号であちらこちらで投句している。

聡明な先輩の句はあちらこちらで取り上げられている。

当然だがすべて脳内吟行での創作である。

そしてなんとか動かせる指だけでiPadを操作して句を詠み、私への指示を出す。

文明の利器で意思疎通が可能になったものの、よく喋る話の面白い先輩だった。

そのストレスは私には想像できないほとであろう。

IPS細胞研究所が奮闘しても今の段階ではまだ先輩の復活は無いようだ。

 

多少のわがままは受け入れますよ。

元気にいつまでも俳句を詠んでください。

てな事を考えながら今日も母の待つ愛知に向かう車中にいます。

 

いつもの俳句投稿サイト、兼題は『鮃』でした。

先輩は 「人」私はいつも通り「並」でした。

そして今回取り上げられた文章です。

 

    兼題〜鮃〜

『鮃』がこの時期の季語なのは脂が乗り切る食の旬だからであろうが私にとってのヒラメ記憶は味覚では無く、触覚なのである。

これも少年時代の思い出である。

豊橋の伊古部の浜で一年を通して遊んだ。

島崎藤村の詩『椰子の実』の舞台恋路ヶ浜に続く美しい砂浜である。

一年を通して釣りをした。

寒い冬にもリール竿を手に太平洋の白波に向かった。

釣れても釣れなくても良かった。

ある時は友と語らい、ある時は一人海と語らった。

全てを忘れさせる包容力と強さを太平洋は持っていた。

嫌なことがあるといつも海に向かっていた。

そして夏には遊泳禁止のこの浜で泳いだ。

沖に向かい砂浜は続くが、いきなり深くなる。

波も強く、だから遊泳禁止なのである。

砂地の海を歩くのは磯場の海を歩く事と比べるとさほど怖くはない。

しかし、安心して歩いていた私は足を砂地の海底に置いた瞬間背筋が凍るような気持ちがした。

生まれて初めての感触が足に裏にあったのだ。

そしてそれがぬるりと土踏まずを横に抜けていった。

一瞬驚いたが次の瞬間にはそれがヒラメであろうと悟れた。

ヒラメの子どもだったのである。 彼らの安住の地に文字通り足を踏み入れた際の出来事であった。

後にも先にも一度きりの体験であったがいまだに足の裏が覚えている。

寒い冬にキス釣りに行くと置き竿していた先に食いついたキスにデカいヒラメが食いついた。

地球を釣り上げたかと思うほどの重さであった。

その時にはこれを踏んだらひっくり返るだろうなぁと釣り上げたヒラメを眺めた。

胸を張って帰宅した。

母がヒラメのようなまん丸の目をして驚いたのは言うまでもない。

少年の頃の冬の想い出である。