スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

海の日に見た夢

f:id:standingmiya:20190716050821j:image

国民の休日が増え、子供たちは喜んでいることであろう。

世の中がこれで回っているんだから余計なことを考えなくてもいいのだろうが、人口は減少に向かい、私も含めて年寄りが増える。

働き手の少なくなっていくこの先、このままでいいのだろうかと疑問に思う時がある。

働かずに生きていける世の中なんてのは来る訳がない。

カラダを動かすことばかりが働くことではないことは理解している。

しかし、地に足をつけて働く、額に汗して働く、そんな当たり前のことが少しずつ遠くなっているように感じる。

私が歳を取ったからだけであろうか。

 

昨晩は夢を見て寝汗をかき起きた。

一年前に俳句投稿サイトに送った文章の通りの夢だった。

私は夏休みが嫌いだった。

暑い暑い夏休みとともに堕落していく自分が嫌だった。

 

 

『少年の頃 海の日 7月20日
青い空に白い入道雲そして広がる海、夏休みの始まりである。
買ったばかりの父の軽ワゴンに家族四人で乗り込み海水浴に行った。愛知県豊橋市渥美半島の付け根、伊良湖岬に行く途中にある。半島の外側は太平洋、波が荒く遊泳禁止の外海では両親には内緒で悪友と泳いだ。白くどこまでも続く太平洋岸の砂浜の行き着く先は島崎藤村のうたった『椰子の実』の恋路ヶ浜である。この歌に心打たれるのはまだまだ先である。
そんな外海とは対照的に内海は静か過ぎるくらい静かだ。国道から脇道に入って松の林を抜けると小さな入江が目に入る。そこに臨時の海水浴場があった。両親の監視の下、障がいを持つ兄と浮輪につかまり日がな一日クラゲのように漂った。そして昼は塩辛い母の作った握り飯を食べた。それから兄は木陰で昼寝、私はまたクラゲになった。一日良い子でいた。
父母は夏休み初日に親としての義務を果たし、次の日からは毎日働きに出た。私は兄とまだクーラーなど無いアパートで休みの間を過ごした。はっきりしない漠然とした不安を抱え本ばかり読んでいた。
夏の日、夏休みが始まるとあの時の気持ちが心の底から湧き上がってくる。青い空、白い入道雲とは対照的なモノトーンなあの部屋の灰色が心に広がる。