銭湯の想い出
近頃とんと縁が無くなってしまった銭湯、学生時代の安アパートには風呂もシャワーもあるわけはなく、銭湯無しの生活は考えられなかった。
社会人になってからは常に寮や自宅の内風呂があり、縁が切れてもおかしくなかったのだが、銭湯には時々行く機会があった。
こんな暑い時期であった。
ゼネコンの営業マンに欠かせない用地調査は拷問のようであった。
炎天下、スーツを小脇に抱えてフィルムカメラを鞄に入れて歩いたものである。
用意してきたタオルも汗を絞れるほどになり、帰りに銭湯を探した。
まだ明るい銭湯に入り汗を流し、静かな風呂でおじいさんが使う空の湯桶がタイルの床に置かれてカーンという音が高い天井に響く。
短い時間ではあったが、幸せな時間であった。
そして、フルーツ牛乳を飲みながら扇風機の前で身体を乾かした。
着替えは無く、濡れたシャツに手を通さねばならないのだがスッキリして、会社に戻るかそのまま接待に向かった。
学生時代は全てが自分の時間であった。
合気道の稽古が無ければ一番風呂にも入れた。
いつもは閉店ギリギリの混み合った終い湯に「おばちゃんゴメン」と番台に代金を置いてあわてて身体を洗い出るのが常であった。
一番風呂では、いるのはおじいさんばかり、しかもタイルの床がまだ乾いている。
その時の足の裏の感触は今でも覚えている。
一番風呂でタクシー運転手の鈴木さんと知り合った。
歳の離れた兄貴のような鈴木さんにはよく銭湯の帰りに一杯飲ませてもらった。
風呂桶を抱えたままである。
今の若い子等には理解出来ないだろうが当時のテレビドラマにはそんなシーンがあった。
全てが昭和の想い出である。
大抵の猫は風呂やシャワーが嫌いと聞く。
濡れるのが嫌なのであろう。
私がこれまで付き合いしてきた猫の全てもそうであった。
気まぐれに洗ってやるとどれもがこの世の終わりのような声で鳴いた。
このトラも違わずそうであった。