嬉しかった話
中学受験でしばらく休んでいた女の子が試験が終わり、またお母さんと二人で稽古に来てくれている。
もちろん合格、まずはおめでとう。
それも嬉しかったが、また稽古がしたいと二人で来てくれたのがまた嬉しい。
受験が100%自身の気持ちなのかは知らない、しかし合気道は本人がやりたくて来てくれている。
あといくつか受験をして最終的に社会人になったあと、この自主性が大切である。
当たり前だが、長く生きてきた親たちは自分の失敗や周りの失敗と同じ経験をさせたくなく我が子に無理強いをしてしまう時がある。
これも当たり前だが親は子より先に死ぬ、最後まで面倒をみる訳ではない。
だから親は子の自主性に任せるべきである。
失敗は成功の母である、勉強の出来る子よりこの先の難しい時代を生きることの出来るたくましい力を身につけて欲しい。
今のうちにたくさん失敗しておくべきである。
彼女に入学前に既に宿題が出ていると聞いた。
その中の一つは読書感想文、一冊は1945年以前に書かれた本、戦前のいわゆる名作だろうか。
そしてもう一冊は新書ならばなんでもよいとのこと。
さすがしっかりした学校である。
生徒の自主性に任せている。
読む先生は大変だろうが楽しいだろうと思う。
小中で課題となった読書感想文を思い出していた。
他人に指図されて本など読みたくなかった。
彼女がそんな内容を楽しそうに話してくれて嬉しかった。
自主性でいつまで私たちと合気道が続けれるかは分からない。
でも再び来てくれた彼女である。
合気道より面白い事、楽しい事を見つけてそっちに行ったらいい。
そしてまた気が向いたら合気道をやったらいい。
合気道の◯◯ちゃんと言われるより、◯◯ちゃん合気道もやってるの、と言われる方がカッコいいよ。
自分の気持ちで、自主性で生きていってください。
この先を楽しみにしますよ。
あらためて、まずはおめでとう。