テキトーな介護のススメ
インフルエンザ、続いてコロナと介護無しでは生きていけない母や兄達は大変である。
被介護者である母、兄は施設内にいる限り安全なようにも思えるが、介護者は外からやって来る。
だからウィルスが持ち込まれる可能性は大きく、ひとたび持ち込まれたらたらひとたまりもない。
今月中旬まで兄の施設はインフルエンザのため面会禁止であった。
そして今回のコロナ、母・兄の施設への訪問は自粛している。
二人が施設に世話になるようになっての7年間とそれまでの5年間以上、愛知に月に2度、最低でも1回は帰っていた。
母の具合の悪い時期には毎週帰っていた。
それが今回初めて一ヶ月以上帰ってない。
二人には悪いが、身体が楽である。
ずいぶん無理をしていたのである。
ここで何度か書いているが、私の頑張りで母のアルツハイマーが治ったり兄の障害が消え失せたりすることは決してない。
二人が施設にいれば行事があったり、アクシデントがあったりして訪問の必要性が出てくることは当然ある。
しかし多くの部分は自己満足なのである。
しかし、このことに気付くには時間がかかった。
人に言われても、諭されても私ばかりでなく介護の渦中の人間の耳には入らない。
自分で気付かなければならない。
気付くまでの時間は人間として必要な時間なのであろう。
正常な母・兄であるならば、そこまでやらなくていいんだよ。
自分の生活を大切にしなさい。
と言ってくれただろう。
介護の最中でまわりが見えなくなっている人はたくさんいるだろうと思う。
介護は、介護する側も幸せにならなければ本当の介護ではない。
今回のコロナ騒ぎがそんな方たちにとって介護を考えるきっかけになってくれたらいいと思う。
端から100%なんて無理なことである。
母が、私が子どもの頃、将来を期待しなかったように介護にも期待はしていないに違いない。
だからテキトーでよいのである。
こんな場面で頑張っていると『どうせならもっと早くに頑張ってくれたら良かったのにね』と母に皮肉を言われそうである。
写真は『土佐小夏』です。