記憶の引き出し
母のグループホームへ向かう道は人の歩かない畑の間の農道です。
名も知れぬ誰が愛でるであろう路傍の花が春を囁き咲き乱れていました。
私は花の名前をあまり知りません。
子供の頃、まだ兄が元気だった時分のことです。
母、兄と三人で自転車を漕いで近くの赤塚山まで行ったことがあります。
こんな時期だったと思います。
青葉と野に咲く花々の入り混じりが子供心にも美しく感じました。
ジュースの販売機も無い当時です。
母が持ってきた魔法瓶の冷たい麦茶が美味しかったです。
草の上に座り母と兄と並び豊川の町を眺めました。
そして花の名前を教えてくれました。
全く興味のなかった私の頭には何も残りませんでした。
今となっては勿体無いことをしたと思っています。
母の事も知らぬ事が多いです。
長年書き溜められた母の日記の解析を試みたことがありますが途中のままです。
たぶんずっと途中のままでしょう。
道端の花を見て思い出すように何かのきっかけで蘇る記憶もあるでしょう。
そんな記憶の引き出しの隅から出てくる思い出を大切にしたいです。