スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

心落ち着く場所

先日機会があり、大阪市内の教会にお邪魔しました。 写真はその集会室、木造築50年、日々の手入れの行き届いた気持ちの良い清楚な建物でした。 私たちの小学生時代まだ主流だった木造校舎が、よく手入れされて残ったらこんな感じなのでしょう。 落ち着いた雰…

母とラジオ

最近NHKの『ラジオ深夜便』を時々聴く。 真剣に内容に耳を傾けることは少なく、BGMとして流していることが多い。 その方がものが考え易かったり、作業がはかどったりする。 母もこれをよく聴いていた。 母もいつも考え事をしていたんだろうと思う。 眠れぬ夜…

友人へ贈る

合気道の友人が週末就職試験に挑みます。 昭和60年私が社会人になった年、世はバブル期でした。 就職は正社員が当たり前、給料も必ず毎年上がる、そんな時代でした。 そんな時代だったからか、皆が優しかったように思います。 良い意味での年功序列は成り立…

永訣の朝

宮沢賢治が好きでした。 童話よりもこの詩が好きでした。 中学の教科書で出会ったと思います。 けふのうちにとほくへいってしまふわたしのいもうとよ で始まるこの詩は私に賢治の亡くなりいく妹への深い愛を感じさせ、あたり一面真っ白な雪の世界を想像させ…

羊な夜

金曜日の夜のこと、私は所用で合気道の稽古には行けませんでした。 用事を済ませ家内に連絡を取ると『羊にいる』とのこと、迎えのため天王寺で途中下車しました。 私が店をやっていたビルの地下にあるワイン屋さんです。 人柄のよいマスターがいつも笑顔で迎…

三河田原の空

兄のいる愛知県田原市です。 市町村合併後、渥美半島のほとんどが田原市となっています。 小中学校時住んでいた豊橋市内からこの渥美半島の先端の伊良湖岬までの往復が丁度100km、日曜日よく一人自転車で渥美半島をさまよったものです。 この冬の時期は毎日…

忘れられない事の中に

♪ 忘れられないことの中に なんでもないようなことがある それはいつも記憶のどこかで 色もあせずによみがえる 学生時代を過ごした練馬区江古田を舞台にした『江古田スケッチ』の歌詞で私の好きなフレーズである。 一つの町に私の通った武蔵大学、そして武蔵…

竹内君と食べたコロッケパン

スーパーやコンビニでコロッケパンを見かけるといつも思い出すことがある。 社会人になった昭和六十年、東京津久戸町にあるゼネコン本社で秋口まで研修を受けていた。 その時の同期の一人竹内君とは同じ体育会出身で気の合う男だった。 その時、彼は自宅から…

天王寺駅北口のポストの不思議

天王寺駅北口にある時々利用するポストである。 地下鉄谷町線に乗り換える際に手紙、ハガキを投函する丁度良い場所にある。 前から二つのポストが並んでいるのが気になっていた。 どちらに投函するか迷っていつも左側のポストを利用している。 向かって右側…

近ごろ街で見かける光景

元来女性の服装には無関心に近く、もちろん知識も乏しい。 しかし、私なりの、年代なりの女性の服装のイメージというものはある。 こんな事をここで書くことは世の女性のひんしゅくを買いそうであるが、勇気を奮って声をあげたい。 『年齢なりの服装をして下…

大寒

暦の上では一年で一番寒い時期なのでしょうが関西はさほど厳しい寒さを感じることのない毎日です。 私は風邪を引くことがあまりありませんでした。 しかし、昨年は不覚のインフルエンザを罹患し今年から風邪に気を付けています。 一枚多く着て、睡眠時間を取…

干し納豆

ご存知ですか、『干し納豆』です。 納豆で有名な水戸がある茨城県の友人から頂いたものです。 美味であり、私の好物です。 お店をやっている時にもお客さんには喜んでいただいていました。 大袋で頂いたのを小分けしてカバンに入れいつも携行する今日この頃…

金曜日の夜

金曜日の夜は格別ですね。 なるべく早く仕事は切り上げて家族の待つ自宅に向かうもよし、仲間たちとネオン街に消えていくもよし、ですね。 サラリーマン生活を懐かしく思い出します。 残った仕事を来週に残すか、残業して片付けて気持ち良い週末を迎えるか。…

私の阪神淡路大震災

小学生の作文のような表題です。1995年1月17日発生した阪神淡路大震災、会社の命で翌18日に私は神戸に乗り込みました。それから一ヶ月間だけ私は神戸の人間となりました。目にした惨状は言葉には出来ません。自宅に帰れば家族も温かなご飯も水もトイレも風呂…

道と雪兎

故市橋紀彦師範からいただいた書です。 この歳となり、もう少し落ち着いた毎日を送れるものかと思いきや、落ち着くことはなく日々は過ぎていきます。 人が集まるという事は大変です。 一本筋を通し、妥協も折り合いも持ち合わせているつもりなのですが、反省…

吉野家の牛丼

昨日のニュースで第3四半期決算で9年振りの赤字転落というのを目にし、気になり吉野家に行きました。 ここでも以前書きましたが、学生時代ずいぶんお世話になりました。 東京に出て生まれて初めて口にした吉野家の牛丼、就活時期に配られたリクルートの会社…

寒中お見舞い申し上げます

いただいた年賀状が気になり寒中見舞いを書き始めています。 結局、それに割く時間が必要になっていくのですがこの時期だけ気持ちを交わす方もたくさんいます。 年に一度、その方を思い出してその方を思い筆を走らすことはいい事だと思います。 宛名を先に入…

成人の日に思う

今から38年前の昭和55年に私は成人の日を迎えました。 大学進学を決め、年末に魚市場での仕事をやめて受験に向けて部屋にこもっていたと思います。 この日を境に何かが変わるわけではありません。 父は仕事で日本にはおらず、兄は静岡で入院生活、母は病院勤…

机上の仲間たち

手紙を書く、物を考える上で役に立ってもらっている机上用品の一部です。 個人の性格にもよると思いますが、一つを思い詰めて考え答えを出すよりも一度にいろんなことを考えながら時には頭を休めながら一つの答えを導き出すやり方が私には合っているようです…

合気道の受け身

合気道は取りと受け、投げ側と受け身側で繰り返し繰り返し一つの技を稽古します。 そして合気道には試合がありません。 とても地味な武道かも知れません。 投げられ技を身体で覚え、いつしか受けで相手を導き技の正しい型を教えていくようになります。 老若…

私の習慣

もう二十年近く前から続けているので習慣と言ってもいいのでしょう。 必ずカバンにハガキと万年筆を入れています。 ハガキ、手紙をよく書きます。 最低でもハガキを週に2枚、母と兄に送っています。 母のアルツハイマー症がスタートし、少しでも脳のトレーニ…

食の好みの変化と

年齢とともに食の好みが変わるのは当たり前かも知れません。 今でもカレーうどんが好きな事に変わりはありませんが以前のようにいつもカレーうどんではなくなってきました。 ゼネコンにいた20代、30代は毎日焼肉でも大丈夫でした。 現場の焼肉大会は私の指揮…

大学卒業時に合気道師範故市橋紀彦先生からいただいた色紙です。 先生が亡くなった歳に近づくにつれて先生の夢は何だったんだろうと考えます。 合気道バカになるなと言われました。 世の中のことを知って合気道を続けていけとも言われました。 母、兄が他人…

初詣

今年初めて母のグループホームへ向かう。 今日は新幹線、いつもこだまか二時間に一本豊橋駅に停車するひかりに乗る。 新大阪駅〜豊橋駅の往復約3時間は私の至福の時間となる。 行きの席はいつも決まっている。 最後尾車両の一つ手前の車両の後部座席の三人…

初夢

あまり夢は見ない、いや覚えてないのですが、奇妙な初夢を見ました。 風邪気味だったのか、普段ない寒さを感じ暖房で部屋を暖めて寝たのです。 そのせいなのか夢の中で部屋の壁一面に赤色に近い濃いピンクの虫、が張り付いているのです。 10センチくらいの等…

コーヒーで思い出す

コーヒーが好きです。 高校生の頃から豊橋でコーヒー豆を求め、自分でコーヒーを淹れていた。 昭和50年代、街の喫茶店はまだ存在していた。 20歳の年に東京への進学が決まり上京した。高校を卒業してから働き出し、同年齢の連中より金回りのよかった私は、暇…

阿倍野道場の初稽古

昨夜、当阿倍野道場の今年初の稽古でした。 そして私にとって初めての稽古でもありました。 先週まで稽古があり、なにが変わるという事もないのですがこの初稽古は大切にしています。 まだ休みの最中の方もいれば、私事多忙、お仕事の方もいらっしゃると聞い…

年始の挨拶に思う

年賀状を書かなくなって三度目の年始です。 母の具合が悪くなり、新年の謹賀を人にお伝えするような立場ではないと思い止めました。 減ってはきたものの無くなりそうにはありません。 年に一度だけの近況報告を送ってくれる方もおり、あわててハガキやメール…

正月三日の朝

正月三日、時間は何も私には告げずに悠々と進み続けています。 正月だからといって何かが変わるわけではないのですが凡人の私には少しだけ身体と心を休める時間があって、少し美味しいものがあって、いつもより上等なお酒が家にある、それだけで気持ちは高揚…

ワラジ抜き

『ワラジ抜き』こんな言葉をご存知ですか? 私も初耳の言葉でした。 母の故郷である山形県南陽市赤湯の従兄から聞いた言葉です。 7年前の暮れも押し迫った28日に父は闘病の末他界しました。 その時年末にもかかわらず赤湯から車で駆けつけてくれた従兄たち…