2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
六月も今日が最終日、一年が半分終わってしまいました。 その終わった半分の半分は誰もが経験したことの無かったコロナとのお付き合いでした。 この目に見えないウイルスとのお付き合いで誰もが多少なりとも生活が変わっていると思います。 私には無用の外出…
昨日、Facebook乗っ取りに遭い、自分のデジタルの世界での無知さを再確認しました。 ご迷惑をおかけした皆さん、申し訳ありませんでした。 新しい事や新しい物は好きで何でも興味があります。 しかしこのインターネットの世界には興味は乏しく、当然自ら深く…
社会人になって初めての会社には、かようなテキストがあった。 という事を当時の同僚、彼も転職しているのだが、話をしているうちに「宮島さん、こんなの知ってる?」と教えてもらい我がままを言って送ってもらった。 うろ覚えだが、思い出した。 あったあっ…
平日の休み、蒸し暑い一日を家で過ごした。 一昨日愛知まで車を走らせ、車体には虫の死骸がたくさん張り付いていた。 やむを得ぬ事とはいえ、無用な殺傷をしてしまった。 虫たちの成仏を祈り、久しぶりに洗車した。 年に一度くらいしか洗う事はない。 若い頃…
五ヶ月振りに母、兄に会いに行った。 今週から兄の施設は条件付きで面会が出来るようになった。 母の施設ではまだ面会は許されていない。 兄は変わらずマイペースで元気そうであった。 母の施設に向かう途中、田原城跡の博物館の駐車場で休憩した。 もうアキ…
ジャスミン茶との最初の出会いは小学生五年の時、その頃父が長く香港で仕事をしていた。 父が日本に持って帰って来た。 急須を使わずに大きな湯呑みに茶葉をジャスミンの花と共に入れて熱湯を注いだ。 湯の中で開く花が不思議だった。 父が四十代に入ったば…
当合気道阿部野道場では七月から通常通り稽古を始めます。 第1発目は7月3日金曜日の稽古です。 稽古にいらっしゃる皆さん、マスクを忘れずに来て下さい。 お待ちしています。 さて、音を立てるように世の中が変わりつつあります。 音は聞こえるものの何がど…
人には必ず利き手があります。 人ばかりではなく、生き物すべてに利き手、利き足があるのであるのでしょうか。 私が出会った猫も犬もとっさに出す前足は右でした。 合気道の稽古では必ず右と左を行います。 どんな場合にも対応出来なければなりません。 とっ…
私のゼネコンでの営業時代。 それは人との出会いであり、まだ若かった私とあまりにも強烈な百戦錬磨の個性達とのぶつかり合いでもあった。 どんなふうに文章にするか考えたがまだ全てを書けない。 あと10年後に、もう少し記憶が虚ろになってからにしようと思…
梅雨寒の夕、食事まで本を読んでいる。 私だけに限るのかも知れないが、夏場の読書量は減るように思う。 持ち歩いて外で読まなくなるからである。 夏の多湿の中紙の本はどうもベタつく。 その中でページをめくるのが好きではない。 書店でかけてもらうカバー…
大学合気道部の先輩から勧められて始めた俳句はなかなか進歩しません。 俳句に不可欠な季語、この季語を中心にものを考えるという技術は俳句に限ることではありません。 テーマを中心に物事を考える。 世の動きを中心に先を読み仕事する。 合気道の稽古でも…
爽やかな一日だった。 久しぶりの遠出をした。 何度か訪れたことのある当麻寺。 他に人はいない。 時間は止まってしまったかのようである。 明日からは梅雨空に戻るという。 誰もが願うように、このまま普通の生活に戻れたらいい。 こんな場所でいつまでも時…
今日の乾いた晴れの日は梅雨に入ったばかりだが、中休みと言うのだろうか。 暑いが頬にあたる乾いた風が心地よい。 この時期、どこにでも目にするアジサイの花。 実は、アジサイの花が好きではない。 きれいだと思えるのはほんのひと時、その後が良くない。 …
三十の歳で営業に移った。 京都出張所で営業の修行をするものと思っていたが、そうはいかなかった。 大阪支店営業部は未知の世界であった。 当時の営業部は平均年齢が高かった。 時代のせいであった。 高度成長期の名残だったのだと思う。 建設業界は営業を…
昨日の話の続きであるが、歌謡曲には疎かったが、実は歌を歌うのは好きであった。 小学生時代には音楽の時間によく褒められた。 そうすると逆に人前では歌いたくなくなった。 大学時代に皆でまだ歌詞カードを見ながら歌うカラオケスナックに行っても真剣に歌…
一つが前進すれば一つが後退し、それが繰り返して全体的に見れば少し前進している。 こんなことってのは誰にでもよくあることなんだと思う。 水前寺清子の『365歩のマーチ』のようである。 “三歩進んで二歩下がる”という歌詞が子どもの私にも頭に残った。 19…
ゼネコンでの事務屋時代の話をそろそろ終わろうと思う。 当時いたゼネコンが現在どんな事務のやり方をしているか知らない。 しかしここまでパソコンが浸透した今、よほど大きな現場でなければ事務屋の常駐は無いのかも知れない。 そればかりか、事務は支店に…
仕事でトラック販売業の方々と話をする機会がある。 雨が降ろうが風が吹こうが物流を止めるわけにはいかない。 災害復旧で活躍するのはトラックであり、今回のコロナ騒動でも生活必需品の輸送は止まることはなかった。 止めることは出来なかった。 そこは3…
近畿地方が今日梅雨入りしたそうである。 今日も蒸し暑い一日であった。 これからしばらくは仕方あるまい。 ハンカチ、タオルを複数ポケットやカバンに入れて過ごすしかない。 何度過ごしても慣れることのない嫌な季節であるが、四季の中の一アイテムであり…
私がゼネコンで生きた原点となる事務時代にもう少し付き合っていただきたい。 ほんの四年間ほどであったが濃い毎日だった。 力を持つ、おおらかなご性格の京都出張所長の虎の威を借りる事務課長には、毎晩の会社の金を使っての祇園通いに意見を申し立てて嫌…
我が家の愛猫三毛猫『マダラ』改め『ブーニャン』である。 おばあちゃんネコの彼女のヒゲ、よく見ると右の一本が波打っている。 子供の頃から何匹かのネコと出会ったが、初めての波ヒゲである。 若い頃には無かったように思う。 年に何度か抜けるが同じ波打…
事務の仕事は私に向かなかった。数字を追い、たたく電卓は毎回違う数字を示した。電卓のせいだと思い給料をもらうたびに電卓を買い替えた。しかし電卓のせいではなく、私には数字を追いかける才能がなかったのであった。 入社当時の会社の経理処理はまだ伝票…
ゼネコンで仕事をしていた頃のシリーズであるが、営業職に移るにはまだ時間がある。 しかしながら蒸し暑くなって来たこのタイミングを外せない『ホタルの思い出』がある。 事務職から営業職に移り、大阪支店へ移動となった。 その後再び当時の京都営業所長に…
ゼネコン入社一年目、京都出張所の朝は早かった。 1985年のまだ暑い秋に京都出張所に着任した。 久しぶりの新入社員はいつまでもお客さん扱いだった。 建設業での事務はどんなものか入社前に想像がつかなかった。 山奥のダムやトンネルの現場に行かされるも…
ウナギの産地浜名湖が近くの我が故郷豊橋・豊川ではウナギを食べる機会が多かった。 土用の丑の日にはまだ早いが、いつもの俳句投稿サイトの兼題は『鰻』でした。 ◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お…
社会人になって初めての会社というのはいろんな意味で懐かしいものである。 建設業などにまったく興味は無かったものの、弾みで入ってしまったゼネコンで現場事務、営業をやりその後も結局は建設業界でメシを食わせてもらい気が付けば三十年以上もの時間が過…