スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

接触の少ない合気道

五月も休会である旨を家内が子供たちへ連絡を入れ、何軒かのお宅から電話を頂いた。 みんな元気にやっているようである。 中には毎日腕立て伏せ、腹筋運動、スクワットを欠かさず続けている子もいた。 毎日何もせず過ごす私には頭が下がるばかりである。 『…

五月の稽古

合気道阿部野道場の稽古は五月も休みます。 二十歳で合気道を始めていろんなことを経験しました。 不思議ですが辛い事は記憶から消えています。 稽古は本来辛いものです。 そう思いやって来たことだから辛い記憶は無いのかも知れません。 今の私にとって合気…

鳴門のワカメ

家内がやんごとなき用足しのために天王寺まで行った帰りに乾物屋で生ハムを買って来ました。 切り落としの安物と言っていましたが美味しい生ハムです。 今日はなんとなく、どうしてもワカメが食べたくて鳴門の塩蔵ワカメを 買ってきていました。 ワカメの料…

『春眠暁を覚えず』

ことわざにもなるような季節でもある。 この2、3日眠くて仕方がない。 しかし、私の場合少し違う。 人より暑がりなのである。 羽毛布団が微妙に暑くなってきた。 暑いと寝れないのである。 しかし、薄い布団に替えると風邪を引きそうである。 めったに風邪…

明日やること

ある部分の時間がゆっくり流れている。 世の中の動きが部分的に止まってしまい、経済が停滞してしまっていることは大きな問題であろうが止まってしまっても問題が無いことはずっとこのままでいいのではないかと思う。 再び動き出したらいろんなことが分かっ…

今年も色づく梅

毎年このゴールデンウィーク前の今頃、実家に帰って父母達との過ごし方を考えていた。 と言ってもどこかに旅行に出かけるわけでもなく、実家で料理をして皆で食卓を囲んでたわいもない話をして大阪に帰る日を迎えるのがいつもであった。 当たり前の普通の生…

今日一日の終わりに

これまでの日常生活の無駄な部分がどんどん削ぎ落とされていく。 『三密』と『不要不急』、『八割削減』が無駄を削ぎ落としていく。 無駄を無くしてシンプルな生活に慣れるのは良いかも知れないが、どんな日常となっても無駄は必要だと思う。 心のゆとりにつ…

非日常な日常

こんな時にはこんな本が楽しいかも知れません。 『南極越冬記』は第一次南極越冬隊長の西堀栄三郎の手記、『洞穴学ことはじめ』の吉井良三は洞穴生物学者です。 二人とも理学博士ですが、ここに書かれている二人の本当の専門のことより昭和基地での越冬の日…

兼題『春暖』

さて、いつもの俳句投稿サイトの発表の週です。 今回の兼題は『春暖』しゅんだんです。 春暖は、厳しい冬の後にやって来る優しい暖かさのことです。 この暖かさを私たちは必ずやって来ると知っているのに嬉しく感じるのはなぜでしょうか。 厳しければ厳しい…

ついに行った散髪屋

コロナが収まるまで行かないつもりであった散髪に今日行ってきました。 人によったらなんてことはないのでしょうが、私としては生まれて初めてくらい長く伸びた髪の毛でした。 鬱陶しさはピークに来ており、マゲを結う夢は断念しました。 たまたま開いている…

コロナと介護

本来であれば明日から二泊三日での兄の検査入院の付き添いであった。 それが完全なフリーの時間となった。 兄と母に申し訳ないがこの二ヶ月を愛知への移動無しの気楽な生活を送らせてもらっている。 義務というより当たり前のことと思い十数年以上大阪と愛知…

危機管理の力

今までに無い日常に浸っていると変な事を思い出す。 母ハルヱは風邪を引かない人であった。 父は冬になるとマスクをしていることが多かったらように記憶する。 母は看護師という職業に長い間就いていた。 昭和5年、1930生まれの母は看護師として長野県上諏訪…

春の嵐

春の嵐のような雨風は過ぎ去った。 桜の花は散り、若い緑が目立ち出した。 見る者のいない葉桜をながめながら駅に向かった。 時々ふとした事で以前の事を思い出す。 ゼネコンに入社し、事務として京都営業所に在籍していた時である。 日曜日に事務所で一人仕…

自由に時間を使う

長期化しそうな今の状況に誰もが少しは慣れてきたのではないでしょうか。 在宅での仕事は有効に時間を使うことができます。 まずは通勤時間が無い。 そして拘束される時間が無い。 ということはある意味自分との闘いとなるのですが、会社で仕事をしていても…

対応する力

ご多聞に漏れることなく私の予定もことごとく変わっている。 その中で毎年この時期に定例にしてきた兄の定期検査入院も延期となった。 愛知の施設から静岡の病院まで連れて行く。 定期検診の兄の場合、最悪一年延びても支障は無いが、数少ないてんかん専門の…

漠然と思うこと

覚悟はしているが、馴染みの店が無くなり当たり前の風景が変わっていくのは寂しい限りである。 人がいつかは死ぬように永遠に不滅なものは無いことは分かっているが、自身の身の回りでそんな事は起こって欲しくないし、自分の周りでは起こらないと誰もが心の…

ヘレンドのカップ

家内が毎回違うカップでコーヒーを出してくれる。 このカップはヘレンドというハンガリーの窯元のカップだそうである。 カップごとに物語がある。 二百年近くも歴史があれば物語があってもおかしくはない。 私はその物語を聞くのが好きである。 私はヨーロッ…

私の好きなこと

久しぶりにジッとテレビをみていた。 コロナの最新情報を仕入れようとスイッチを入れたテレビであったが、NHK BSで再放送『ダークサイドミステリースペシャル』平成超常大事件ベスト10をやっていてテレビの前から動けなくなってしまった。 何度かここでも書…

『慣れる』ということ

桜のガクと若葉が目立ち目で春の深まりを感じるが、頬を撫でる今日の風はとても冷たい。 合気道の稽古から離れてひと月半になろうとしている。 私の社会人になってからの合気道の稽古はずいぶん歯抜けである。 社会人が余暇をつかっての稽古である、ひと月や…

便りが無いのは良い便り

『便りが無いのは良い便り』とは連絡手段が手紙くらいしかなかった時代の言葉なんだろう。 今の時代、SNSで発信された意思表示に少しでも早い返信が評価されるような風潮さえある。 母のいる施設から時々電話をもらう。 危篤状態を言い渡された二年まえから…

ムエタイの夢

『ムエタイ』って分かりますか? タイ式ボクシングのことです。 日本発祥のキックボクシングと混同されますが、『ムエタイ』を改良して日本で興行として始められたのがキックボクシングで『ムエタイ』とは違います。 久しぶりにみた夢は合気道ではなくこの『…

兼題『ボートレース』

俳句の季語にはなかなかイメージが掴みにくいものがある。 今回の兼題『ボートレース』は競艇ではなく競漕、レガッタなのである。 こんな自分の日常に縁のない兼題にも向かい合わなくてはならない。 『脳内吟行』である。 不思議な事だが、コロナ騒ぎから電…

今年最後の桜

外せない用事で出かけた京橋の公園、今年最後の桜になるであろうと思い人のいないベンチに腰をかけた。 たくさんの思い出のある公園である。 営業時代、会社に戻れずこのベンチに腰掛けながら悩んだことが何度もあった。 桜は満開、好天気なのに人のいない東…

美味しいものを食べる

美味しいものは人それぞれです。 主食となるもの、副食的なもの、口にものを運ぶその場面によっても変わるでしょう。 健康に気を遣って美味いものなど食べることは出来ないと思っていた時期がありました。 『美味いものはカラダに悪い』などとウソぶいて毎晩…

サプリメントとしての合気道

稽古を完全に休み一ヶ月以上が過ぎます。 時間がある中、『合気道ってのは俺にとって何なんだろう』と考えていました。 そんな時、合気道道主である植芝守央先生の言葉を見つけました。 私が学生時代のこと、もちろん先代吉祥丸先生は御健在、道場長は現在本…

見下ろした桜

毎年この時期に桜を見上げていろんなことを思い出す。 子どもの頃、母と兄と歩いた豊川市の『桜トンネル』、買ってもらったみたらし団子はコゲが美味いことを知った。 社会人になって生まれて初めて来たこの大阪で会社の花見をした。 京橋の東野田公園である…

伸びた髪を撫でながら

なんとなく行きそびれていた散髪、このまましばらく伸ばしてみようと思っている。 年齢とともに髪は薄くなり、細くなってきている。 子どもの頃からクセのある髪質だったのがますますクセが目立ってきた。 これだけ伸ばすのは初めてくらいなのだが髪先が耳を…

雨の日は家で

雨で外に出れない日には部屋で読書と決まっていた。 すべてをあきらめ考え過ぎず部屋で読書と決めていた。 社会人にはなかなか出来ぬこんな事を学生だから出来ていた。 40年も前のことである。 時間を持て余してしまうなんて、今考えたらどんなに贅沢な事な…