スタンディングみや(でした。)

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アップルパイの季節

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今年もアップルパイの季節、スタバで家内とコーヒーを飲みながら物思いに耽りました。

好物のアップルパイを味わう家内を前に何故か私が子供だった頃の母の顔を思い出していました。

食べず嫌いと思っていた母、甘いモノは嫌いだと思っていましたが、グループホームに入ってからはフツーに食べていました。

色んな意味で母は自制していたのでしょう。

過度な我慢は美徳ではない、時代がそうさせたのかそれ以外の原因だったのか。

私には母の気持ちはわかりますが、間違っていたと今思っています。

 

ラテの入った紙コップ、お月さまのようです。

俳句投稿サイトの兼題は『無月』でした。

俳句はいつもの通り並査定でした。

 

もともと和建築の障子文化だった日本にカーテンが定着して朝夜に開け閉めをするようになったのはいつ頃からなのだろうか。

戦後、高度成長期にアパートが各地に建てられそれに合わせてカーテンは普及したに違いない。

1960年生まれの私が子供の頃を過ごした父の勤めていた会社の社宅は鉄筋コンクリート造りの4階建、2DKの当時の標準的なものだった。

その部屋にはカーテンが無かった。

たぶん我が家だけ無かったのであろう。

当時はなんとも思わなかったが今考えると不思議な事である。

周りに高い建物は無かったからまだよいようなものの、2階だった部屋は外からかなり見通しは良かっただろう。

家計の事情はさておき、素通しのガラス一枚の窓は子供の私には重宝だった。

朝日の囁きで目を覚まし鳥と挨拶を交わし、昼は文房具屋で大枚の二十円で買った虫メガネが太陽と私を友だちにしてくれた。

夜は星、そして月を眺めながら寝るのが常であった。

オリオン座、北斗七星を覚え、月の顔も覚えた。

満月であろう明るい月が薄い雲の向こうにあった。

今思えばそれが無月であったろう。

私は風流を感じる訳では無く、仲良くなり過ぎた太陽にそそのかされて虫メガネで焼き焦がした畳の焦げをいつまで座布団で隠しおおせるか、この月は雲の向こうからどこでもお見通しなんだろうなぁとドキドキした。

無月、こんな素敵な呼び方があろうとはこの歳になるまで知らなかった。

月に寄せる思いは今回も私の昔の記憶を呼び起こした。

この繰り返しがこれまで浸りきってきた生きるがための欲得の追求で乾き切ってしまった私の心を癒してくれている。

俳句ポスト365に心から感謝する。