稽古照今
いにしえにかんがへいまにてらす
最近昔話が多いな、と人から言われています。
これも歳をとったからかなと独り言つ今日この頃です。
さてこれからも昔話とこれからの事を少し。
この色紙はもう25年も前に合気道本部道場にいらっしゃった佐々木将人師範に大阪でいただきました。
そのうちそれなりの値が付くかと重なる引越しでも持ち歩きました。
というのは冗談で佐々木先生も尊敬する師範のお一人でした。
大阪には和歌山大学での稽古指導の後、当時大阪に転勤されてた方を訪ねていらっしゃいました。
その方から会議が長引く間の佐々木先生の相手を仰せつかりました。
北浜の料亭に案内され、なんでも好きなものを頼んでおけと言われていたものの困った顔の私に「ここは松竹梅の竹を頼むのが合気道的だぞ。」と言葉を頂いたのが頭に残っています。
その時間に書いていただいた色紙です。
稽古照今とは温故知新のような意味です。
やはり基本が大切だとおっしゃってました。
そして戻れ、とも。
慣れとともに慢心してブレてしまうのが基本です。
つまらない同じ動作が肝要なのです。
そして考えることです。
私と同じ合気道をしろとは人に言いたくありません。
しかし基本は同じ事をしてもらいたい、どこでも同じ基本のはずです、これは口酸っぱく言いたいです。
あとは各人です。
私は私です。
私と手足の長さから体型、考え方まで同じならば同じ合気道を強いるかも知れません。
でもみんな違う個体です。
自分の合気道をするべきです。
知らない偉い先生の稽古は一度は見学に行きます。
でも見て知って、それだけで十分だと思います。
限られた時間は自分のために無駄なく楽しく使ってください。
きっと明るい展望が開けるはずです。
合気道に限らず生きてるすべてにおいても。
北浜の夜は合気道も含めいろんな楽しい話で 更けていきました。
佐々木先生も一木さんも合気道以外でも多彩な才能をお持ちの方でした。
合気道の宮島さんと言われるのが嫌いです。
宮島さんって合気道もやってるんですか、の方が好きです。
腹も身の内… ですね。
もう二十年も前のこんな寒い頃だったように記憶してます。
たまに近所に住む会社の先輩と帰りが一緒になりました。
そんな時に必ず「どうだ、一杯。」と誘ってもらい、鶴橋で途中下車しました。
よく食べ歩いているその先輩に連れて行かれるのはいつもガード下の旨い串焼き屋でした。
いつもは並ばないと入れないのですが、何故かその日はスッと入れたのです。
そしてカウンターの席に着くといつもと違う風景、親父がいないのです。
いつも不健康そうで無愛想な親父が病欠でした。
「ヤバイなぁ。」嫌な予感がしました。
私も二日酔い続きで迎えた週末、ズル休みしたいくらいシンドかったのです。
新鮮で旨い生の臓物を食べさせてくれる店です。
いの一番に私の知らないカタカナの希少部位を先輩は注文してくれます。
奥さんらしき人がさばき、盛られた皿が目の前に置かれます。
先輩はほぼ手を付けず私が平らげることとなりました。
いつも先輩が先に支払いを済ませてくれます。
そんな先輩の勧めを残す事など出来ません。
なんかいつも違うと思いながら箸をつけていました。
一緒に電車に乗り駅で別れ帰宅しました。
翌日からです。
原因不明の微熱と身体のダルさがなんと1ヶ月以上続いたのです。
それ以外に無いと思っていました。
ヤバイ状態だったんでしょう。
フグでも肝を食わせる料理人がいるくらいです、セミプロが触るには危険な食肉部位もあるのでしょう。
とりあえずその後それに関する不具合や健康診断の血液検査に異常はありません。
と、こんな経験をしながらも 未だに腹と身の分離している自分を自覚する今日この頃です。
その先輩は現在五位堂で大変美味しい蕎麦屋さんをなさってます。
お口直しに… 、