母の万年筆
母がアルツハイマー病と診断されてから週に一枚の葉書を母の頭の体操になるかと思い書いています。
はじめの頃は普段通り万年筆で書いていました。
しかし、この葉書には万年筆のインクは向かないようでした。
本人の意思に反して濡らしてしまう事が多いのです。
それを知ってから母への葉書はボールペンに変わりました。
この万年筆は大学入学時に母からもらいました。
もとは父が海外で求めてきたものです。
兄が生まれてからずっと日記を書き続けてきた母への父からのプレゼントでした。
手入れを知らない母の万年筆は軸の中でインクが固まりいつしかカートリッジが使えなくなり、インク壺を傍らに置いての日記付けの作業でした。
もらってから、何度もお湯につけて蘇りました。
以来、40年近く年に一度引っ張り出して年賀状書きに使ってきました。
重くて持ち歩かねばならない私の普段使いには向かないのです。
今年はお休みさせておきます。
大切に使っていかねばならない一本です。
筋子の想い出
筋子が好きです。
温かいご飯のお供にいいですよね。
でも今年はあまり見かけないように思います。
鮭の漁獲量が上がらないそうで当然のことかも知れません。
子供の頃、いつも母は冷蔵庫に筋子を置いてくれました。
母の実家山形でも冬の間いつも樽詰めの筋子があったと聞きました。
その当時の方が今よりずっと求め易かったのでしょう。
それほど裕福でもない我が家に筋子が常備されてたのは美味しいモノを私達に食べさせたい親心だったんだと思います。
母に感謝します。
中学の頃、よく海釣りに仲間で出かけました。
自転車で一時間も走れば三河湾でも太平洋でも出る事ができました。
そして一日釣り糸を垂れてのバカ話が楽しい時間でしたら。
当時は今のようなコンビニはありません。
皆、弁当とお茶は持参でした。
母も忙しいなかいつも握り飯を持たせてくれました。
母は時々頑張って、握り飯の具に筋子を入れてくれることがありました。
もう釣りの経験がある人にはお分かりでしょう。
釣りに行く際準備するイソメ、ゴカイって餌になる虫がいるんですが、それがよく似てるんです。
何にって、筋子です。
色も感触もです。
海のものですから匂いも似てます。
仲間も豪華だなとは言うものの誰一人として「くれよ。」とは言い出しませんでした。
今年はじめての筋子は豊川のスーパーで見かけました。
今年も暮れ行きます。