目に映る美しさ
その美しさだけに魅かれてつい手を伸ばすことがある。
帰り道に一人フラッと寄る店がある。
いつもチューハイを頼む、ここでは純ハイと呼ばせている。
今月の純ハイはブドウだった。
毎月きれいな純ハイを目にするのが好きである。
子どものようだなと思いつつもつい注文している。
今回も俳句サイトへの投稿、兼題は『色鳥』でした。
今はもう無い実家には色鳥がいた。
ショーケースに収まった極楽鳥のハク製がいた。
薄暗い床の間に飾られていたそれは私と目を合わせるのを嫌がっていた。
私も極力床の間には近づかないようにしていた。
このオオフウチョウの死骸は、亡き父が40年以上も前に赴任先のインドネシアからこっそりと持ち帰ったものであった。
見慣れぬ横文字の新聞紙に包まれたオオフウチョウの遺体数体が父のスーツケースの底から出てきたのを覚えている。
殺されるのを望む事などあろうはずはなく、ましてや日本のこんな地方都市に連れて来られるなんて思いもしなかったであろう。
極楽鳥のハク製はそれから40年以上我が家の床の間でじっとしていたのである。
父は当時誰も望まぬ海外勤務に志願し、金のかかる兄の治療費を稼ぎに行っていたと言う。
しかし、山奥のダム建設現場での厳しい仕事の休日は、大いに散財したと父の友人から聞いた。
そして色鳥、花鳥の間を父は極楽鳥と化して飛び回っていたのであろう。
五年前に父が死に、生前出来なかった断捨離が強制的に私に回ってきた。
片っ端から市の清掃工場に持ち込んだ。気の遠くなるような作業だった。
最後まで手をつけれなかった極楽鳥は、従兄に頼み父の実家に引き取ってもらった。
父の一眼レフとオメガの懐中時計を付録に付けて引き取ってもらった。
そしてそのまま蔵にしまわれた。
雉も鳴かずば撃たれまい、ではないが、きらびやかな衣装を纏っていたがために永遠にその姿を遠く離れた日本の山の中に残さねばならぬ色鳥を私は哀しむ。
清掃工場で成仏させる事が出来なかった弱い私をずるいと恥じている。
そして今、手に入れてよい美しさとそうでない美しさがあり、適所で初めて輝く本当の美しさがあると感じている。