スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

@Morihei_bot

Twitterで表題の『@Morihei_bot』というのが面白く毎日見ている。

盛平翁に仕えた先生方の知る盛平翁の言葉やエピソードが紹介されている。

 

奥村先生、ノケ先生の言葉は納得出来る。

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塩田剛三先生、市橋先生の言葉も頷ける。

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佐々木先生は誠に面白い先生だった。

文章まで面白い。

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植芝盛平という人が偉大であったことと、人間であったことが伝わる毎日のツイートである。

仕事の合間のほんの数分、頭を切り替えて合気道に限らず自分の好きな事、興味のある事に頭を巡らせて脳みそのコリをほぐすのはいい事じゃないだろうか。

 

私がボーっとスマホを見つめているのはいつもそんな時です。

 

 

遠足の想い出

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春を感じさせるこの頃です。

なんだか本当の寒さは来ないままこの冬は終わってしまいそうですね。

 

小学五年くらいだったと思います。

豊橋市の小学校に在籍していました。

春の遠足だったと思います。

豊川沿いにある吉田城まで歩きました。

遠回りをして歩いたように記憶しています。

まさしく遠足でした。

その時、兄の入院に母は付き添いずっと家にはいませんでした。

父が弁当を用意してくれました。

勝手仕事の苦手な父が大きな手で握り飯を握ってくれました。

おかずにゆで玉子のみ、あとは母のストックの缶詰を全てテーブルに置いて好きなのを持って行け、と言われました。

そして私は一番高級そうな缶詰を選びました。

今思えば父らしく男らしい、でも子供心が分からない父でした。

しかし、私はわが家の家訓『男は食べ物に文句を言わない』に従い缶詰一缶と今どき家庭で使わなくなった缶切りをナップサックに詰め込んで行軍に出掛けたのです。

そして昼、弁当を広げる時間がやってきました。

皆と同じ母親の手作りの弁当を持たぬ私はカラ元気とともに皆が持たない缶詰を自慢してその高級缶詰を皆の注目を浴びて開けます。

鰻と焼きの漢字は読めたんですが、もう一文字『兜』が読めず、意味もわかりませんでした。

中にはウナギの頭ばかり、驚愕、そしてタメ息とともに缶の蓋をして何事も無かったかのように父の作った塩辛い握り飯を口に運びました。

 

スーパーで缶詰コーナーに立ち寄る際は必ずこれを探しますが関西ではお目にかかったことはありません。

地元豊橋に隣接する浜名湖付近で今でも作っているようです。

大人の味の鰻の兜焼き、次回母の元に帰った際には近所のスーパーで探してみます。

この歳になり、大人の味を愛知の地酒とともに味わってみたいと思っています。