チョコとコーヒー
昨日、わが家にもバレンタインはやって来ました。
コーヒーの味を引き立てるチョコレート、家内からいただいたチョコと家内が淹れてくれたコーヒーで夕べの団らんでした。
いつもの俳句投稿サイトの水曜日『今週のお便り』コーナーで取り上げられた文章です。
肝心な俳句は今回も並でした。
今回は『うらうら』、難解な兼題でした。
誰にでもなんでもないようなことが心に残ることがある。
もう10年も経つだろうか、父との静岡へ向かう道中でのことである。
静岡市内の兄の主治医のもとへは豊川から自動車で二時間ほどの距離であった。
東名高速沿の木々の緑は新緑で眩いばかりに光り、暖かな日差しは車内に冷房を入れさせること無く窓を少しだけ開けさせた。
うららかな陽気の春だったのである。
なにかが始まるような予感をさせるのが春のうららかさであろうが私にはそうでない事が分かっていた。
自身の体力と能力の衰えを感じ出した父はどうにも出来なかった兄を私に引き継ぐために私を運転席に座らせていた。
治療の道など残されていない兄の生命維持のためのルーチンの作業を引き継ぎたかったのである。
父は何も言わなかった。
道すがらサービスエリアで父は静岡おでんをうまそうに食べていた。
まだ衣替えなどするわけもなく、母の手編みの毛糸のチョッキもおでんもうららかな春の日差しとは縁遠いものであった。
その先待ち受ける艱難とは裏腹な温かく柔らかな日差しを私は受け入れた。
その時、兄と生きていくことを決めた。
これが厳しい北風の吹く中の道中であれば受け入れてなかったかも知れない。
なんでもないような春の陽射し、うらうらとするなんでもない陽射しを私の肌は覚えているのである。
當麻寺の中将餅
このところ疲れ気味の毎日でした。
仕事が休みの昨日、家内に誘われて久しぶりに足をのばました。
お店で熱いお茶をいただき、丁度良い甘さの草餅を口にしました。
甘いものが大好きな訳ではないのですが、この餡子の餅と番茶の相性の良さはよく分かります。
たぶん誰が食べても同じでしょう。
草餅だけではダメ、もちろん番茶だけでもです。
引き立てあう二つ、人間でも同じですね。
脇役がいるから主役はいます。
主役の個性は一つですが、脇役によって見え方が変わってきます。
主役の個性を最大限に引き出してくれるその人にあった脇役が名脇役なんだと思います。
だから主役が相手によっては脇役になることもあっておかしくはありません。
この中将餅、いつ行ってもお客さんは途切れず店員さんは忙しく動き回っていますが、私のわがままを聞いて頂けるならば、主役ともなり得る美味しいコーヒーも置いてくれたら足を運ぶ頻度は高まるような気がします。
家内はこの時期だけのぜんざいを頂きました。
この名脇役の塩昆布、以前の役者とは代わっていたように思います。
私の勘違いかも知れませんが… 。