『その日暮し』
今朝読んだ記事にゼネコンで営業を始めた頃教えられたことと同じような話が出ていた。
今生きることと同時に未来を考えて生きることである。
営業マンは各人目標の受注数値を達成させるために日夜努力しなければならない。
その受注にはいつも期限がある。
これから迫ってくる年度末は辛かった。
しかし、期中の仕事ばかりに気を取られてばかりにはいかない。
すぐに四月もやって来る。
だから、絶えず頭を整理しながら期中受注の営業をしながら来季以降、もっと先の中長期の営業までも考えていかなければならない。
一つ受注しても気を休めることは出来ない。
持続が続く緊張は脳に悪影響を与えると思う。
しかし、金が直接絡むか絡まないだけで、こんな事は生きていくために誰もがやっている事であろう。
『その日暮し』なんて言葉があるが、本当に『その日暮し』してる人間は少ないと思う。
今日一日だけの事を考える事で精一杯ということもあるだろう。
でもそれは『その日暮し』ではない。
母が障害のある兄を抱えて先を考えたら生きていけないから先を考えずに今日だけを生きる、とよく言っていた。
これも『その日暮し』とは違う。
結婚して子を持って母の苦悩は少なからず分かった。
そして今、母と兄の保護者となり母の苦悩は私に引き継がれている。
しかし、母と私は違う。
私には一度に襲ってきた苦悩によって出来上がった『耐性』がある。
開き直るしかない状態を経験した。
それがよかったと思っている。
そこで『耐性』は出来上がった。
誰かがなんとかしてくれる、それが今の日本国である。
ご両親、ご家族の介護で悩んでいる人は多いと思う。
決して自分で解決せずに公に頼るべきである。
そして仕事を続け税金を納め、介護保険料を納めるべきと思う。
いつか『保護者』の任を解かれたら気楽に本当の『その日暮らし』をしてみたい。
人生の残りの幾ばくかの日はそんな時間であってもバチは当たらないだろうと思う。
富山からの春の便り
今年も富山から蕗の薹がやってきました。
大学の先輩『寝たきり親父』あらため『チームすそのりょういち』そしてまた『ねずみ男』への改名を予定されている合気道部の安田先輩からの春の便りです。
と言っても俳号の通りの寝たきりです。
いつも奥さんが息子さんとともに摘んでくれるようです。
立山連峰を背景とする滑川市では少し車を走らせば蕗の薹は決して珍しいものではないから気は遣うなと言ってくれます。
しかし、日本アルプスの清廉な雪解け水で育まれた蕗の薹が我が家にある事はとても有り難く、嬉しいことです。
寝たきりの先輩の顔と、奥さんの顔(これも合気道部の後輩)が目に浮かびます。
卒業して35年が過ぎました。
皆それぞれの道を歩き見た目だけ皆変わりましたが、本質の何かはあの時のままです。
大学四年間の合気道部の生活は本当に苦しいものでした。
でも皆、合気道が好きでもあり、助け合って最後まで残りました。
長い年月を経ても変らぬ何かはこのままいつまでも続くことでしょう。
誰もがそれを当たり前のことであって、特別なことなどと思わない普通がいいんだと思います。
10年経っても20年ぶりに会っても元気か、また会おうと別れることのできるのはそんな濃い下地があるからだと思っています。
今晩は蕗の薹と一緒に頂いた美味しい玉子を家内と頂きたいと思います。
ありがとうございました。