スタンディングみや(でした。)

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季節が思い出させること

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巡り行く季節の中、思い出すことがたくさんあります。

齢を重ねてきた証拠です。

楽しいことも、そうでないことも。

今年もこの時期がやってきました。

いつもの俳句投稿サイトの兼題が『炬燵』。

去年もこのブログで綴っています。

そのリメイク版です。

 

 

冬らしい寒さを肌で感じ始めるこの時期にいつも思い出す子供の頃の思い出がある。

兄が難治性のてんかんであると告知されたのが兄が3歳だと聞いている。

15の歳から看護婦として働き、多少の医学の知識を持っていたはずの母であるが医師の指導の帝王切開を断り知人の勧めで自然分娩を選び兄に消えない重荷を背負わせた。

母は告知を受けたその瞬間に兄の将来が見通せたんだと思う。

その日は寒かった。

父は残業で毎晩遅かった。

兄と私はコタツに足を突っ込み横になっていた。

裸足の指が汗をかき気持ちが悪かった。

いつまでも夕食の支度が始まる気配が無い。

母も目を開けたまま横になっていた。

陽は傾き部屋はだんだん夕陽の赤で染まりそして暗く寒くなっていった。

突然母は起き上がり、兄と私の手を引いて外に出て歩き出した。

ずっと無言だった。

子供の私にもその異常さは感じた。

向かったのは近くの名鉄線の踏切、遮断器の前で母に手を握られてしばらく立っていた。

記憶はそこまでである。

誰でも想像するように母はその時無理心中を考えていた。

認知症になってからそれまで重かった口を開いた母から直接聞いた。

細かな背景は成長の過程で私の中で作り上げられた記憶かも知れない。

でもあの時の汗をかいたままの素足でズック靴を履かされたニュルニュルした気持ちの悪かった感覚が残っている。

当時は今とは違うニクロム線、電熱線の赤色のコタツにはなんだかほんわかした落ち着くイメージがあり、一家団らんの象徴のようなコタツが、私には辛い思い出でしかない。

年子の弟の私が2歳の時の記憶である。