道と雪兎
故市橋紀彦師範からいただいた書です。
この歳となり、もう少し落ち着いた毎日を送れるものかと思いきや、落ち着くことはなく日々は過ぎていきます。
人が集まるという事は大変です。
一本筋を通し、妥協も折り合いも持ち合わせているつもりなのですが、反省と考える日々です。
『とにかく楽しくやってくれ。』とおっしゃっていた市橋先生の言葉を重く感じています。
私自身が楽しいじゃダメなんです。
一緒に稽古する仲間全てが楽しく気持ちよく道場をあとにして帰宅の途につける、会社に向かえる、そんな理想に向かいたいです。
優しく厳しかった母が元気であればどう考えただろうか。
絶えず自身を外からの視点で見つめ直していきたいです。
そして市橋先生が進んだ道を追っていきたいです。
さて、今回も俳句投稿サイトへそんな母を思いながら綴った母の幼き頃の思い出です。
兼題は『雪兎』でした。
母は兄二人、姉二人の下の末っ子だった。
米と果樹で生計を立てる農家だった。
町の顔役であった祖父のもとには毎晩たくさんの人が集まったという。
母親を早く亡くした姉妹三人は毎晩の寄り合いの喧騒を耳にしながら隣にある部屋で寝ていたという。
母親は居ずとも三姉妹は仲が良く、末っ子の母は姉二人と並べる布団の中での会話が楽しみだったという。
ある時は長女のするおとぎ話、そしてある時は次女が歴史話を語り、母は自分の将来の夢を二人に聞いてもらい寂しさを感じることもなく夜を過ごしていたという。
凍りつくような寒さのある夜、明るい月の光を障子越しにも感じるある夜、そのあまりの明るさに目の覚めた母は枕元に置かれた三枚の皿に置かれたものに目をやって驚いた。
雪兎がいたのである。
真っ白な雪兎が三匹、三人の枕元に置かれてあった。
月の光で白うさぎはキラキラ輝き、赤い南天の眼はジッと母を見つめていたようだったと言った。
三人の世話をするはずの母親はおらず、ずっと不憫に思いながらも何も出来ない祖父が母達のために寄り合いが終わった後、作ったものであった。
雪兎、命の短い雪兎を三人は雪のかからぬ軒下でその冬大切に飼ったと言う。
春の訪れとともに無くなってしまった雪兎だが、母の心には今もなお生き続けているのだろう。