スタンディングみや(でした。)

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私の阪神淡路大震災

小学生の作文のような表題です。
1995年1月17日発生した阪神淡路大震災、会社の命で翌18日に私は神戸に乗り込みました。
それから一ヶ月間だけ私は神戸の人間となりました。
目にした惨状は言葉には出来ません。
自宅に帰れば家族も温かなご飯も水もトイレも風呂もある、そんな私は物見遊山の観光者と何も変わらなかったのです。
会社の機動力で自前の船で弁当を運び三食弁当とカップラーメンを毎日食べ、私は3キロも太りました。
届いた携帯電話を持ち、原付で神戸市内を走り回り得意先への挨拶と御用聞きの中、大変な中わざわざお茶を出してくれる奥さんもいれば毎日20キロのポリタンの水をマンションの10階まで平気で運ばせる奥さんもいました。
営業所の連中は自宅も大変なことになっているはずなのに、土日も無く得意先と得意先の自宅をくまなく回り、社員の自宅をくまなく回り本当によく働いてました。
誰一人として不平を言う人間はいませんでした。

極限では優しさが出てくるものなんだと知りました。
公園の焚火に当たらせてもらい、途方に暮れ、やり場の無い悲しみと怒りの方ばかりなのに、明らかに業者とわかるユニホーム姿の私にも炊き出した豚汁を振舞ってくれ、温かな缶コーヒーをポケットに突っ込んでくれました。
私はずいぶん会社の備品を配りました。ブルーシートは喜んでもらえました。
『困った時はお互いさまだ。』と生前よく言っていた父の言葉を思い出します。

いろいろな事がありましたが通過者であった私には語る資格はありません。
ただ、あの一ヶ月間で私の心の中の何かが変わったのは間違いありません。
その瞬間まで神戸で生活していた方々、ずっと神戸で生活をしている方々、止む無く神戸を去った方々、すべての神戸の方々へ感謝の意と敬意を表したく思います。

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