記憶力または忘れる力
自身のことを記憶力の悪い方ではないと思っている。
生きていれば誰しもいろんなことがある。
そして、必要な事も不要な事も案外記憶には残るものである。
それをハナから取捨選択出来れば問題は少ないんだと思う。
記憶力の使い方なんて考えたことも無ければ、よく考えてみたらおかしな日本語である。
記憶を意識で使い分けるなんて出来ないだろうから。
でも忘れることは訓練で可能となるかもしれない。
そして記憶する力よりも忘れる力の方が大切だと思う。
ストレス無く生きることは出来ないだろう。
ならば少しでもそれを軽減するには忘れることが一番なのではないだろうか。
『水に流す』『大目にみる』のように自発的に行うことではなく、時間とともに薄めていける力である。
それはコップに滴る水がオーバーフローするのに似ている。
以前はそれを必死に押し留めていたように思う。
そしてそれが大きなストレスになっていたように思う。
これまで生きてきた過程て培われた力だと思う。
家族の介護が峠だった時にコップの全てを流し切って変わったように思う。
この力が無かったらここまで生きて来れなかったような気がする。
コップに水が一杯になったら流せばいい。
決してなんとかしようなんて考えない方がいい。
完璧を求めなければ、全てはなんとかなるものである。