スタンディングみや(でした。)

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菠薐草

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『菠薐草』ほうれんそう

私の未知の漢字でした。

いつもの俳句投稿サイトの兼題でした。

なんだか最近、難しい兼題が出て来ます。

俳句結果はいつものように並でした。

お便りコーナーで採用された文章です。

 

兼題『菠薐草』

十代よりほぼ看護婦一筋で生きてきた母ハルヱの一番の不得手は料理であった。

よく仕事から帰ると誰それさんから聞いてきたと言って作ってくれた新メニューの料理は悪いがどれも美味ではなかった。

ひと言でも文句らしい言葉を発するものならば、『男は食べ物で文句を言うものじゃない。』と一喝される体育会系の家庭で私は育った。

中でもよく思い出すのはホーレン草だ。

ホーレン草のおひたしはハルヱの得意料理であった。

三河湾沿いで育った実家には新物の海苔が切れることなく常備されていた。

その海苔で巻かれるおひたしはどう考えても不味くなろう筈がないのに美味くなかった。

茹で過ぎてクタクタになったホーレン草の海苔巻きは、塩辛い醤油の味ばかりがした。

でも、もう食べることは出来ない。 認知症の母の頭からレシピは全て消え去ってしまった。

今回の兼題『菠薐草』で頭に浮かぶのはあの食べたくなかったおひたしであった。

そしてそれを無性に食べてみたくて自分で作ってみた。

露地物の寒風に晒されたホーレン草は甘かった。

海の香りとともの甘いホーレン草、間違いなくおひたしであったが私の覚えている味ではなかった。

塩辛さばかり覚えているそのおひたしの味は、計り知れない母の愛情だったかも知れない。

当時、ホーレン草は美味くないものという先入観があったかも知れない。

テレビでみるポパイが一気に食べるホーレン草の缶詰は子供たちの健康のために人気の無いホーレン草を食べさせようとするPTAの悪巧みだと私は知っていた。

 

母の味、それはもう二度とこの世で巡り会うことのないかけがえのない母の作ったホーレン草のおひたしであった。