一カ月振りの通天閣
母が他界し引越しの準備と重なり、今まで経験したことのない引越しとなった。
母の事、仕事、引越しと寝る時間を削っても足らない時間だった。
片手間で出来ることは一つも無かったが、重なる時は重なるものである。
たいていの困難は一度潜り抜ければ次からさほどしんどさを感じないものである。
でも今回のようなケースはたぶん生涯において今回限りだろう。
そして今日はこれから稽古である。
残務整理に心をくだきながら、再開に気持ちをシフトするのは、営業時代に期中受注の処理をしながら先の期に向けての営業をするのに似ている。
休み無く絶えず先を考え続けるのはしんどいが、楽しいものである。
久しぶりに会う仲間と何を稽古するかを考えながら通天閣の前を通過した。
私が大阪の地に足を踏み入れてからずっとそこにある通天閣、明日も明後日もそこにいるであろう。
通天閣も私も未来永劫ではない、けれども私の方が早く死に朽ちるかも知れない。
その日が来るまで前を向いて目の前にある事に向き合っていきたい。