成人の日に思う
今から38年前の昭和55年に私は成人の日を迎えました。
大学進学を決め、年末に魚市場での仕事をやめて受験に向けて部屋にこもっていたと思います。
この日を境に何かが変わるわけではありません。
父は仕事で日本にはおらず、兄は静岡で入院生活、母は病院勤務でした。
何も変わらない普通の一日でした。
若いその頃は全てに対して背を向けていたように思います。
分不相応のアルバイト代を手にして高いばかりの難解な本を買い、大人の顔をして酒を飲んでいました。
今思い出すと恥ずかしくなるほど子供でした。
でもそんな経験は私には必要だったと思っています。
私には、です。
まわり道でした。
私の我が儘を許してきた両親に感謝しています。
親が敷いたレール、誰それが敷いたレールとは、あまりプラスイメージにはとらえられないと思いますが最終的に本人が納得できればそれでもいいと思います。
私の性格を知る両親はそんなことは微塵も考えていなかったようです。
カラダで考えさせたんですね。
こけて頭を打ちながらここまで来たように思います。
新成人の皆さんには何も変わらない今日ですが、今日を境に自身の何かを変えていく日にしたらいいんじゃないでしょうか。
成人となるのは法律上でのこと、本当の成人になるために親や第三者の意見を聞く、頭を打ちながら進む、を今日を境にしてスタートすればいいんじゃないかと思います。
時にはまわり道もしながら。
そんなふうに思うようになりました。
歳をとった気がします。
また成人の日がやってきました。