車窓の風景
愛知の母に会いに行く。
いつもの新大阪から豊橋まで乗り換え無しで連れて行ってくれるひかりに乗る。
余談ではあるが、JRおおさか東線の新大阪久宝寺間が開通して八尾駅利用の私は非常に便利になった。
久宝寺駅で乗り換えればそれまでのように大阪駅で人混みを分けて乗り換えをせずともよく、座って新大阪駅まで行ける。
奈良へ向かうインバウンドの旅行者ばかりでなく私にも本当にありがたい。
ひかりでは毎度のように後部車両の最後部座席に座り日経に目を通しコーヒーを飲む。
米原あたりで車窓の風景を眺めると低い山々には芽吹いてきた新緑の薄い緑とまだ残る山桜のピンクがもとからそこにある緑を際立たせている。
もう水の張られた田は田植えを待ちかねるかのようにキラキラ輝いている。
この10連休に帰省してくる子どもたちを待ち構える年老いた両親たちがこの村にはいるのだろうか。
ともに田植えで汗を流し、久しぶりに会う両親の老いを感じながら会話をする子どもたちはこの村に帰って来るのであろうか。
10連休の少しの部分はそんな時間であってもいいと思う。
孝行をしたい時には親はおらず、時間はいくら金があっても買えはしない。
心の健康はこんなところにあるような気がする。
心身ともに健全でなければ真の経済活動は出来ないであろう。
人間として当たり前の日々を過ごすことを考え車窓の風景を眺めた。