『勘』の話
ある人間から『勘』のことを言われて考えていた。
勘がいい、勘が悪いは経験から来るのであろう。
それも生きてきた全てにおいての経験から来るのではないだろうか。
はじめてのある事をする時、脳の記憶の引き出しを全て引き、そこから少しでも関係することは全てつなぎ合わせて解決策を導き出しているように思う。
それが勘なのではないかと思う。
どんな仕事をしていても勘の良さは活かされるであろうが、それが不得手な人間もいるであろう。
仮にその不得手さが原因で失敗に繋がろうと、一度経験したことである、次から同じ失敗をしなければいい。
間違った材料を繋ぎ合わせることもあろう。
それは勘違いだ。
そんな時は素直に認めて次からに活かせばいいのだと思う。
勘のいい人間に先を走ってもらい追随すればいい。
だからあまり臆病にならずいろんなことを失敗して経験したらいいと思う。
経験の無い知識のみの頭デッカチにはならないことだ。
人生は短いようで長い、同じようなことは再び起きるかも知れない。
たぶんそんな経験は頭の引き出しで眠り続けることは無いだろうから。
勘の良さは有り難いだろうが実際の経験には勝ることは無いと思う。
そして、そんなことを繰り返しやってるうちに勘は鍛えられることであろう。