スタンディングみや(でした。)

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そして今日がある

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昭和35年.第二次世界大戦が終わって15年後に私は生まれた。

15年は長いようでも、何かをしていればあっと言う間に過ぎていく。

長くはなく短くもない時間である。

今どこを歩いても未舗装の道など見当たらないが、私の子どもの頃にはそんな道路はいくらでもあった。

雨が降ると水たまりは子どもたちの遊び場となり、乾けは砂ぼこりが舞う今より本来の地球に近い道だった。

この時期そんな道を歩いて風でも吹けば半ズボンから突き出た足もランニングの肩から先の汗で湿った腕も瞬く間に砂ぼこりで真白くなる。

そして時間とともに茶色に変色していく様は、きな粉の団子を私に彷彿させた。

その頃で戦後二十年くらいであろうか。

戦争で生きては帰ったものの働くことの出来なくなった体で白い着物と日本軍の帽子を被った傷痍軍人を駅前で見た。

母から説明は受けたもののそういう理由で不自由な体となった人がどうして物乞いをするのか私には理解出来なかった。

怖い戦争の後にはこんな事があるんだと思いもっと怖くなった。

人の死をまだよく理解出来なかったその頃、死より傷痍軍人が怖かった。

死んでこの世にいなくなるよりも生涯続く拷問のような事を強いられている人の存在が怖かった。

今日8月6日、そして9日、多くの罪の無い人たちの犠牲で戦争は終わった。

広島に行き、長崎に行き、長くもなく短くもない前に起きた悲劇は豊橋の駅前で見たあの傷痍軍人を思い出させた。

そこにいまだに続く悲劇や消してはならない記憶を風化させず私たちの脳の引き出しに保管し続けなければならない。

そして事あるごとに引き出しを引いて伝えていかなければならない。

人間てのはそんなにバカな生き物ではないと思いたい。

愛する人や自分の未来を失いたいと自ら望む人間はいないと思いたい。

 

今年も今日が来た。

そして9日が来て15日を迎える。

74年、長くもなく短くもないほんの少し前にこの日本で起きた事を今年もしばらく考えてみたい。