還暦に思う
言葉の省略があまり好きではない。
世間に広まったら常用語とされるのも好ましいとは思わない。
あくまでも私の主観であるが。
だからアラカンなんてのも好きじゃない。
嵐寛寿郎のアラカンならば許せるが、今の若者には分からない名前であろう。
気がつけば59歳をとうに迎えていて、来年還暦を控えることに気づいた。
気づいたというのは嘘で、ピンと来ないのである。
『アラカン』である。
社会人になったばかりの昭和最後の頃、ここでも書いたような気がするが60歳定年は厳格でそれ以降会社に残るのは役員や特殊な資格を持つ人くらいであった。
当時は給料も退職金もよく、年金も多く、働く必要は無かった。
そして、辞めてしばらくすると「◯◯さん亡くなったそうだよ」なんて話が伝わってきたものである。
ガムシャラに仕事ばかりしていた人間が何もする事が無くなることくらい退屈はないであろう。
責任も必死も無くなる朝早く起きる必要も無くなる。
このいろんな『必要』が無くなるから会社を辞めて直ぐに亡くなる人がいるんだと二十代の頃思っていた。
ストレスっての必要なものだと思っていた。
この40年ほどで平均寿命も伸びている。
時代も変わった。
定年制は65歳に移りつつあるがそれ以降も働く人は多いであろう。
働かねばならないということもあるが、健康に寿命を全うするために必要である。
ボランティアでもいいと思う。
飲み屋を廃業する時に東京からやって来た大学同期の空手部主将は「宮島は合気道やってるからいい。」と言って帰っていった。
最近その言葉をよく思い出している。
合気道はボランティア、これまで世話になった合気道への恩返しで人に伝える仕事だと思っている。
空手部同期の言うとおりである。
食べるための仕事ばかりでは悲しい。
カラダの動く限りは合気道を続けるであろう。
そしてあと一つくらい死ぬまで続けていけることを見つけようと思っている。
そんなことを考えながら朝からサンドイッチを作って食べた。