手紙を書く
コロナでゴミの量が増えて回収が大変だとニュースで知った。
誰も気付かなかった『ステイホーム』の産物である。
我が家では届く手紙の量が増えている。私の書く手紙は母、兄そして東京の叔母さんと一方通行の手紙も多い。
合気道の稽古が休みになってから家内が子供たちに手紙や本を送っている。
家内は返信を期待しているわけではない。
子供達へ思いを馳せてせっせと重い筆を走らせる。
合気道の本をインターネットで見つけて日干しして滅菌消毒をしている。
廃れていく読書文化をなんとかしようと『7日間ブックカバーチャレンジ』というのがあったが、読書よりもこの手紙の方が世の中からなくなる可能性が高いのではないだろうか。
メールを否定はしない。
孫がおじいちゃん、おばあちゃんに文章ばかりか写真でも近況を伝える。
ひと昔前ならば孫に手紙など書かぬジジババが、頭と指先を使ってメールで返事を打つのである。
世のためになっていると思う。
電子決済の世になり印鑑とともに紙の書類は無くなってしまい、手紙も無くなってしまうのだろうか。
文章を書くのには頭を使う。
メールならば見本からの切り貼りも可能で簡単である。
手紙や葉書の書き方を知らない人間も多いのではないだろうか。
メールでの良くない所はよく話題になっている。
手紙や葉書の良さはあまり話題にのぼる事はないように思う。
考えながら一字一字を進める。
途中間違いもある。でもそれも味となって良いものだたと勝手に思う。
書いた者、もらった者にしか分からない喜びや感動がある。
こんな事を書くのは私の年齢のせいかも知れないが、残してある健全な頃の母の手紙を読みこの三ヶ月の間会っていない母の事を思い出していた。
たまたま手元に残った手紙である。
メールでもそんな事はあるのだろうか。
小学生達から手紙をもらった家内は嬉しそうだった。