夜の珈琲
死んだように寝ていた。
ものを書く副業に昼間頭を使い、夜私の人生最後の本業と考えているに仕事に真剣に向き合っている。
昼間大学合気道部の同期の男と電話でいろいろ話ししていた。
私の手の届かない雲の上で仕事をしている男であるが会えば、話をすれば、40年前に戻る。
『お前らしい生き方だ』と言われ腑に落ちた。
ただ、『生き方』と『生きる』は別物である。
平和な世の中が続いていた中、今回ほど『生きる』を真剣に考えた事はない、と思える人は少なくないのではないのだろうか。
戦争を経験していない私たちにある意味ある部分はその戦時中に擬似した世界にいるように思う。
直接な『死』でも間接的な『死』でも隣り合わせに出来る可能性を秘めた毎日が続いている。
こんな中誰の心にも不安しかないだろうと思う。
子供の頃よく観た日曜洋画劇場のスポンサーの一社だったように記憶する。
この日曜洋画劇場は私にとって特別だった。
宿題もせずに最後まで観続けて終わった後、半分泣きそうになりながら宿題をした。
そんな思い出のあるレナウンの被災は私にとっては衝撃的なニュースだった。
今、『天使にラブソング』をテレビで観ている。
テレビではあるが映画はいいなと思う。
音楽も文学もなんでもいいと思う。
この時期を気分よく乗り切り心地良い眠りにつけて翌朝元気に目覚めることの出来る事の素晴らしさを感じたい。
いつもと違う日常で疲れた心や消耗し切ってしまった心にエネルギーを蓄積して心地良い眠りに就きたいものだ。
今日ばかりではない明日も明後日もずっとだ。
どうせ同じ『生きる』であるならば楽しく生きなければ損だと思う。