『使う』を考える
老眼鏡をいつも使うようになる前から『目薬』を持ち歩いていた。
目薬はよく買った。
会社勤めをしている頃は梅田のドラッグストアで200円もしない目薬を買っていた。
でもその頃は最後まで使い切ることは無かった。
必ず途中で捨ててしまっていた。
カバンでの滞在時間が長すぎて賞味期限が切れてしまったかのような感覚での廃棄だった。
その頃より間違い無く点眼の回数は増えている。
爽やかで心地よく、目が覚める時もある。
気持ちの切り替えにさす時もある。
回数が増えたからか、最近は最後まで使い切っている。
他にも最後まで使い切る事がしにくかったり、なかなかしない事がある。
マヨネーズの最後が子供の頃気になっていた。
その頃、母はどう処理していたのだろうか。
私はある時期、最後はマヨネーズのチューブをハサミで半分に切ってバターナイフでかき出していた。
今は酢を垂らしてシェイクしてドレッシングにして最後まで使い切っている。
主婦のような事を書くが、もったいない。
もったいとよく言われるのが筆記具である。
ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、万年筆などが間違いなく死ぬまでに使い切る事は無いだけ持っている。
趣味の世界のこととしているが、家内にはあきれられている。
他人に迷惑をかけることは無いし、気分転換になることで個人的には悪いこととは思ってない。
還暦を間近に控えて残りの人生をそろそろ真剣に考えなければならない。
物が心を豊かにするとは決して思わない、しかしながら物を持たない質素な生活を考えるが、なかなか到達は出来そうにもない。
とりあえずは物は増やさずにある物を使い切る事を目指そう。
これからは『使う』を意識して考えてみたいと思う。