母の介護に当たってくれてる人たち
『何もしない』ことの努力への喪が明けつつある。
母が世話になっているグループホームは1ユニットのみ。
このインフルエンザから続いたコロナの間を、通所は断っていただろうから9名のみのおばあちゃんばかりの所帯を職員である近所のおばちゃん達が守ってくれてきた。
早い時期から職員間での検温から始まり、ずいぶん神経をすり減らしてきたと電話で聞いた。
今回のコロナ事変で世の人々の生活スタイルも仕事のスタイルも変わったままある部分は定着するようである。
インターネットの普及とともに仕事のスタイルが変わるのは当たり前で、前向きに捉えればコロナが正の遺産を残してくれたと考える事も出来るのだと思う。
そんな今思うのは、どんなに世の中が変わろうとも、母、兄が世話になる『介護の世界』は変わらないであろう、ということである。
人の世話は人でなければ出来ない。
その中でも経営者の管理方法はどんどん進化して洗練されていくであろう。
しかしながら人対人の介護の現場で行われる基本は『食べる』『寝る』『排泄する』の三つである。
本来の介護、被介護者がストレスフリーでこの三つを享受出来る現場は最終『人』でしかないと思う。
被介護者はストレスフリーでこの当たり前の三つを受けることに感謝などする必要は無い。
当たり前の事だから。
どんなに世の中が変わろうとも機械化の困難な介護の世界、どんなに世の中が変わろうとも現場の仕事は変わらないのが介護の世界なのであろう。
変えることの出来ない、変えようがない本質を持ったそんな作業こそが、ひょっとしたら崇高で最先端な仕事なのかも知れないと思う。