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京都で過ごした時間 その7

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京都でのマンション建設の地元対応の話は続く。

 

法務局で調べれば誰でも確認できるからここに書くが、当時の高瀬川沿いの土地のほとんどが京都市の所有であった。

担当課できくと、第二次大戦直後に市が救済措置で人が住む事を認めてしまい今に続くのだと言う。

それが既得権となって立ち退きは難しいのだとも。

 

補償費支払いの相手の多くはそういう方々だった。

未だ若かった私は不思議を感じながらも一軒、一軒交渉は進めていった。

自治会長さんが親身になって動いてくれた。

「あんた達は建築基準法に則って、間違ったことは何もやっとらん」と口にするような方だった。

 

会長さんの力は大きく順調に全ては進んだ。

しかし、最後に残った縫製工場の女性社長へは他の倍ほどの金額を会長から言われた。

仕方なく、発注者に事情を説明して了解を得た。

 

支払いの際に初めてわかったのだが、苗字は違うが自治会長の奥さんだったのである。

 

このオチが京都の多くを凝縮しているように思う。

京都の方がこれを目にして気分を害されたらごめんなさい。

でも、それまで私が生きてきた中で培った感覚で進まない物ごとがあった。

 

それが京都の歴史なんだと思った。

マンション建設は順調に竣工、引き渡しした。

それから一度も近くに寄ったことは無い。

 

これが二度目の私の京都で過ごした時間のスタートであった。