スタンディングみや(でした。)

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京都で過ごした時間 その6

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二度目の京都入りまで大阪支店営業部に5年くらいいただろうか。

まだまだ若い営業マンを置かない時代に移動した私は部内で可愛がってももらったが、力を持った部長同士の戦略のはざまに置かれて物のように部内での移動をさせられたり、ここでも嫌われたりして弾き出されるような形で再び京都に行くのだが、ここでは本当にたくさんのいろんな人と出会うことが出来た。

それはその後の私のためになり、ここまで生きてくるための糧となっていると思う。

 

大阪支店でもいろんな事があったのだが、今回は京都編、先を急ぐこととする。

 

三十代半ば過ぎでの移動であった。

当時の営業所長の杉村さんは土木屋出身でありながら、官庁営業ばかりでなく、民間営業もするスーパーマンだった。

 

着任初日、新しい名刺を持ってついて来るように言われ杉村さんのあとを付いて会議室に入ると発注者と着工前の打ち合わせの最中であった。

河原町四条を少し南に行ったところでそこそこ大きな賃貸マンション建設を受注していた。

その着工前の地元対応の打ち合わせだった。

杉村さんから事前の振りの説明の無いまま「地元対応の責任者の宮島です」と、紹介された。

「はじめまして、よろしくお願いします」しか、私の口からは出なかった。

 

京都ばかりではないが、特殊な事情を途中勉強させてもらいながら地元の方々とお付き合いをさせてもらった。

発注者は最大手ハウスメーカーの子会社、厳しい社長のもと、いつも緊張感のある打ち合わせだった。

下調べをして、たしか大阪の西区にあった会社まで行き担当の次長に地元に支払う予算を告げた。

何度か行き、枠内で収めたらいいよ、とあとは私の裁量内にしてくれた。

 

どこでもそうだったが、京都の方々は特に難しかった。

他の仕事をしながら、連絡を取り、必ず顔を合わせて話をした。

一軒ずつ話を決めていった。

話をするのに夜がいいと言われることが多かった。

一軒の地主さんは五階建てのビルを持ち、その最上階に住む独身中年男性だった。

そして、事前に「宮島気をつけろよ」と言われていた。

男が好きとの噂があった。

言われた時間、たしか夜九時頃、遅い時間に一人で書面と朱肉を持って伺うと、大変機嫌良く招き入れられた五階のご自宅は妖しげな香が焚かれ、どこで見つけてくるのかと思うからまた妖しげな照明の部屋に招き入れられた。

そして、ビールを勧められ、睡眠薬でも入れられているのではと疑いながらも飲まなければたぶん持っていった同意書にサインはもらえないだろうと、一気に飲み干した。

飲みっぷりがいいと、目の前でビールを開けてくれたので安心して二本目も空にした。

そのあとも特にややこしい事はなく同意書にはサイン捺印してくれた。

ただの寂しいおじさんだったであった。

 

こんな事がまだ続いた。

本当の京都らしさを知ったのはそのあとである。

それはまた次回に。

 

こんな仕事をしていて奈良の自宅に帰れない日が多かった。

この頃も毎晩浴びるほど酒を飲んでいた。