スタンディングみや(でした。)

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電卓で思い出す

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電卓を何台も持っている。

自分の能力の無さを電卓が補ってくれるのではないかという妄想のもと社会人になったばかりの頃使い易そうなヤツを見つける度に買っていたのだ。

 

社会人になり、ゼネコンでの一年目は英語の研修を終えて大阪支店に配属された。

そして生まれて初めての京都の出張所で建築現場の事務を経験した。

 

現場での仕事はよく言えば原価管理と労務管理、それから渉外であり、悪く言えば雑用係の何でも屋であった。

もう40年も前のこと、半世紀近くも前のことだ、旧態依然としたやり方でいつも疑問を感じながら仕事をしていた。

 

日常のルーチンの中に何が起きるか分からないのが建設現場であり、職員、作業員ばかりでなく現場周辺の一般の方々の生命を守り建設工事を遂行するのが現場所長の責務であり、現場事務はその補佐役としては必要な職種だったように思う。

 

大抵の仕事はすぐに理解し身に付けたのだが原価管理が苦手であった。

特にパーソナルコンピュータの出現の前のことである、紙の分厚い実行予算書があり、その予算に基づいて工事契約がなされ工事進捗に従って支払いが行われる。

全てが帳票、紙であった。

しかも手作業、電卓での足し算掛け算の世界だった。

大抵雑用の終わった遅い時間にかからねばならず、眠い目をこすっての仕事だった。

苦手で眠ければ正確な仕事など出来るわけはないのだが、現場ではなかなか自分の思う通りに仕事を進めることは出来なかった。

 

私は電卓の扱いが苦手であった。

横罫と、縦罫の最後の右下角が同じ数字にならなかった。

億単位の請負の現場である。

提出書類は十万ラウンドであるから帳票も同様でいいんじゃないかと思ったがそれを許してくれない上司がいた。

 

それで電卓に走ったのである。

それで解決することではなかったのだが、、、

 

デジタル化されている今の建設業でこんな事さえ知らない若者が多いだろう。

それでいいと思う。

 

ただ、出来上がったシステムに数字を放り込むだけで満足しては欲しくない。

そこまで行き着いた過程があること、多くの人が関わって行き着いた数字であることを理解することが大切だと思う。

 

建設業にかかわらずどんな仕事にでも大切なのはそこに至る過程を知るべきだと思う。

そうでなければ間違いが起きても気付けないだろうし、先の発展が無いと思うから。