味噌汁のある食卓
時間があり、夕食は私の当番でした。
鮭ごはんにネギ入り玉子焼き、きんぴらゴボウそして具だくさんの豚汁にしました。
子どもの頃よりの習慣なのでしょう。
汁物が必ず欲しくなります。
味噌汁でいいのです、具はその時の旬がいいかも知れませんね。
そして味噌汁で思い出すのは『台湾の母』黄絢絢さんです。
50年ほど前、母の勤務する病院に絢絢さんは台北の大学病院から研修で来ていました。
気の良い母は研修に来る看護師さん全てに親切でした。
それは立場からばかりではなく、母の性格だったんだと思います。
そして絢絢さんが日本に滞在する間に絢絢さんのお母さんがいらっしゃったことがあります。
私たちの家に滞在されました。
結構長く共に生活したと記憶しています。
絢絢さんより小柄で詰襟のチャイナドレスが印象に残っています。
いろんな料理を作ってくれました。
豚、牛の臓物は台湾とは比較にならない安さだと言って料理してくれました。
豚の胃袋はよく水洗いして茹でたものを短冊に切り、生姜醤油で食べさせてくれました。
豚の肝臓は丸ごと一つ大鍋に、ひたひたの水と醤油を一対一で煮詰めていきます。
出来上がったものは冷めてから薄くスライスしてそのままいただきました。
美味しい台湾料理を作っていただき、ベースは母の作る料理で毎食楽しい食卓でした。
そこには必ず母の味噌汁がありました。
それから十年後、今度は私が絢絢さんのお宅にお世話になることになりました。
当時の台北のメインの松山空港近くのお宅は四階か五階建てのビルでした。
お母さん、弟さん達家族と各階に生活していました。
日本人の私には馴染みの無い大家族の複層階での生活です。
子供心にも簡単に行き来の出来る良いものだと思いました。
その時の絢絢さんのお母さんとの会話で、お孫さん達を含めて台湾の子供達が食事で不平を口にする事が話題になりました。
複雑な時代を生きてきたお母さんは食べ物で不平を言った事はなかったそうです。
そしてお孫さん達に「おばあちゃんは日本に滞在した時、毎日味噌汁だったのよ。」と話し孫達の贅沢を諭したと聞きました。
その時、私は違和感を感じていました。
味噌汁も味噌の種類や具でバリエーションは豊富なのにな、と思っていました。
台湾や中国の汁物料理には敵わないかも知れませんが。
懐かしい思い出です。
私もいろんな汁物を作りますが、やはり味噌汁がいいですよね。
日本人だなと思います。
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