スタンディングみや(でした。)

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愛知の田原で考える

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年に一度の兄の健診のため愛知県田原市まで来ている。

これから静岡市にある、てんかん・神経医療センターまで移動、24時間の脳波測定が待っている。

 

エントランスにこんな絵が飾ってあった。

利用者の方が描かれた絵のようである。しばらく見入ってしまった。

平日である昨日、利用者の身内を見かけることはなかった。

静かな施設である。

私の知る福祉施設の中で人も設備も一級の施設である。

しかし、ここに来たくて入所している人はいないであろう。

 

作者の意図は聞いては聞いてはいないがこの下の絵は私に考えさせた。

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兄もそうだが、家族と共に生活出来ない現実を受け入れてここにいる。

家族からすればそれで変わらぬ日常を過ごすことが出来、生活の糧を得ることが出来る。

病人や障害者と共に生活する事は大きな困難を家族に強いる。

どんな事があろうとも皆が生きていかなければならない現実がある。

誰もが経験した事の無い高齢化社会に突入する日本で口に出さないだけで、今これに似た苦労をされている方は少なくないだろう。

実の子であろうとも両親の苦悩を受け入れて選択する人もいるであろう、そして逆もある。

皆、イーブンなのである。

お互い何かを削って生きていかないばならない。

でもその分得るものもあるはずである。

そんな中この絵で私が考えたのは、皆理解はしているものの、やっぱり寂しさはあるということではないか、だった。

皆にあるのではないかということであった。

 

いつもここに来て何かを感じさせられて成長させてもらっているような気がする。