スタンディングみや(でした。)

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静岡の漆山で思い出す

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深夜から雨は降りだし、三河蔵王の桜は散りだした。

早朝兄を車に乗せて静岡へ向かう。

写真はその途中のサービスエリアで見たツバメ。

兄が十代の頃から通うてんかんに特化した国立病院である。

日本中から患者がやって来る。

母と同郷の高橋さんは長男のオサム君のために一家揃って山形から静岡に移住してきた。

こんな家族も少なくないようだった。

父の最期を看取らねばならなかった8年前、アルツハイマーの母を仮の老人ホームに預かってもらい、兄をこの病院で無理矢理入院させてもらった。

そのかわり週に一度豊川から兄の衣類一式の洗濯に来なければならなかった。

兄の病棟には子どももたくさんいた。

そこから院内の支援学校に通っていた。

そんな子たちやお母さんたちに兄が不快な存在にならないか気になっていた。

しかし、毎日が巨大地震のようなその頃に為すがままに任せるしかなかった。

時間が過ぎてみると、全ては私の杞憂であった。

4ヶ月目の退院の日、兄は子どもたち、お母さんたちから見送りをしてもらったのだ。

寄せ書きの色紙まで頂いてだ。

これまで一度も社会に出ていない兄はある意味純粋培養のなか育った。

良い事は良い、悪い事は悪いとはっきり言う。

ずっと子どもたちとそんな風に接した兄を最初は嫌がっていた子どもも兄を慕うようになっていったとの事であった。

兄は兄、一人の個である。兄は限られた範囲ではあるが兄の世界で生きたらいいんだと初めて知った。

 

今年還暦を迎える兄と今年もまたこの取調室のような病室で夜を明かす。

何もする事は出来ず、ずっと兄の枕元で夜を明かす。