稽古を考える
昨晩は合気道の稽古の日。
『いにしえを考う』のが稽古であるならば合気道の今を考えるのも稽古であろう。
どこにいても出来るのが稽古なのだろう。
イメージトレーニングの存在は大きい。
ある程度の基本の動きが身に付いて技の理屈が分かればそれが可能となると思う。
そうしたらその中で受けを取ってくれる相手のスピードや力の強弱を考えてみる。
それに対応する自身の姿勢も自ずと変わってくるはずだ。
強い相手と対峙すれば姿勢は前傾するのは仕方ないと思う。
戦闘体勢ってのはそんなもんだと思う。
私は過去、先輩方から姿勢が悪いとよくお叱りを受けた。
自然体に近い骨盤から伸びる背骨を垂直に伸ばしたまま、ある程度の強さを持つ相手を投げることは私には出来ない。
まだまだ修行不足なのである。
木村二郎師範も故市橋紀彦師範も立ち姿はいつも不動であり、あった。
『いにしえを考う』から今を考えていくのが稽古であり修行であろう。
己の稽古はまだまだ続く。
そしてそれを噛み砕いた言葉と形で伝えていかねばならないと思っている。
その方法を考えるのも稽古だと思っている。